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9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は?

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「三浦大輔」のその他の用法については「三浦大輔 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

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現役時代(当時40歳)(2014年3月16日、横浜スタジアムにて)基本情報国籍
日本出身地
奈良県橿原市生年月日
(1973-12-25) 1973年12月25日(48歳)身長体重
183 cm88 kg選手情報投球・打席
右投右打ポジション
投手プロ入り
1991年 ドラフト6位初出場
1992年10月7日最終出場
2016年9月29日(引退試合)経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴

大和高田市立高田商業高等学校
横浜大洋ホエールズ横浜ベイスターズ横浜DeNAベイスターズ (1992 – 2016)
監督・コーチ歴

横浜DeNAベイスターズ (2014 – 2016, 2019 – )国際大会代表チーム
日本五輪
2004年
この表について

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オリンピック
男子 野球

2004
野球
三浦 大輔(みうら だいすけ、1973年〈昭和48年〉12月25日 – )は、奈良県橿原市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、監督。右投右打。愛称は「ハマの番長」。
俳優の三浦剛は実弟[1]、サンケイスポーツ記者の三浦凪沙は長女。

概要[編集]
横浜大洋ホエールズへ入団した1992年以降、後継球団の横浜ベイスターズ・横浜DeNAベイスターズを通じて一貫して横浜でプレーしたフランチャイズ・プレイヤーである。また「NPBの現役最年長選手および、横浜大洋への在籍経験を持つ最後の選手」として迎えた2016年には「プロ野球の公式戦で投手が安打を放った最多連続年数」というギネス世界記録を達成し、同年シーズン限りで現役を引退(詳細後述)。アテネオリンピック野球の銅メダリスト。
マネジメントはエイベックス・マネジメント[2]。また、日本中央競馬会登録の馬主でもある。
引退後は、横浜DeNAベイスターズの球団スペシャルアドバイザー[3]を経て、2019年より一軍投手コーチ[4]を務め、2020年シーズンは二軍監督。2021年からは同球団の一軍監督を務める。

経歴[編集]
プロ入り前[編集]
橿原市立真菅北小学校時代、2人の弟[注 1]と共に「真北リトルズ」[6]で野球を始める。幼少期は大阪市玉造で過ごし、実家の花屋の配達で岡田彰布宅を訪れた縁があり、地元でずば抜けた才能を持っていた三浦を当時から岡田は評価していた。なお、花屋を経営していた三浦の父が岡田の後援会「岡田会」の主要メンバーであった関係から、幼少の頃から三浦は岡田と顔見知りであった[7]。横浜入団後の2008年に三浦が国内FA権の行使を宣言した際には、岡田がかつて在籍した阪神タイガースから横浜を上回る条件で移籍を打診された。
橿原中学校時代は「北大和シニア」に所属。中学時代まではサード兼投手の8番バッターであまり目立つ存在ではなかった[8]。足も遅く、中学で野球を辞めようかと考えていた事もあったが、3年生のときにコントロールを褒められるようになり、チームのエースが辞めたのをきっかけに投手に定着する[9]。
高田商業高校に進学。高校までずっと一緒に野球をやってきた弟の剛曰く中学までは大した活躍をしていなかったが、この頃から速い球を投げるようになったという[1]。高校時代は小学校の頃からの練習漬けに嫌気が差し、一ヶ月ほどズル休みをしたこともあったが、監督やチームメイトに引き止められ復帰した[10]。1991年の県大会は春・夏ともに決勝で谷口功一率いる天理高校に敗れ甲子園出場は叶わなかった。
1991年11月22日に行われたプロ野球ドラフト会議において、横浜大洋ホエールズから6位指名を受けて入団。背番号は「46」。担当スカウトは高松延次[11]。

大洋・横浜・DeNA時代[編集]
1992年10月7日の対読売ジャイアンツ戦(横浜スタジアム)[注 2]に、3番手投手として一軍デビュー。「横浜大洋ホエールズ」としては最後の公式戦で、篠塚和典から三振を奪うなど打者6人を完璧に抑えた。
1993年9月4日の対広島東洋カープ戦(北九州市民球場)でプロ初勝利・初完投を記録。
プロ入りしてからしばらく、ピンチになると力んだ投球をしてしまい失敗を繰り返していたが[12]、1994年4月22日の対広島戦(横浜スタジアム)でピンチになった際にマウンドで当時投手コーチだった小谷正勝から「己を知りなさい。自分はどういうピッチャーなんだ。力んでも150キロは出ないだろ」と言われ冷静に自分の投球ができるようになり、プロ初完封勝利を手にする[13]。この言葉は三浦にとってプロ野球人生の軸となり、逆境に立った時も自分をコントロールできるようになったと語っている[14]。
1995年から先発ローテーションに加わって活躍し始め、1997年は自身9連勝などもあって初の2桁勝利を挙げる(10勝3敗)。7月29日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)では5回まで無安打に抑える快投を見せるも、8回に代打を出されて無安打のまま降板。
1998年には前年の活躍が認められ、背番号を以前から自身が希望していた「18」へ変更。この年は安定感が増し、8月に肝機能障害で1か月離脱するアクシデントはあったが自己最多となる12勝を挙げ、チームのリーグ優勝、日本一に大きく貢献した。しかし西武ライオンズとの日本シリーズでは第3戦に先発したものの、球数を多く費やし6四球を出すなど苦しみ、序盤で降板して敗戦投手となっている。
2000年と2001年はチームの生え抜き先発投手陣が不調や配置転換など苦しむ中で安定した成績を収め、押しも押されもせぬエースの座に君臨する。
2002年7月3日の対巨人戦で、投球中に右肘の違和感を訴えて途中降板、同年のシーズンオフに欠けた骨を取り除く内視鏡手術を行った。また、契約更改では2003年から2008年までの6年契約を結んだ。
2003年は前年受けた手術の影響もあって春季キャンプは二軍スタートとなり、開幕も出遅れる。
2004年に行われたアテネオリンピックでは、日本代表に選ばれて銅メダルを獲得。
2005年は2001年(11勝)以来となる2桁勝利(12勝)を挙げ、プロ14年目にして初のタイトル(最優秀防御率・最多奪三振)を獲得し、4年ぶりのチームAクラス入りに貢献した。28試合中23試合で7イニング以上を投げ、21試合でQS達成(うちHQS16試合)、10完投と大活躍だった。
2006年は野球規則委員会が「二段モーションなどは不正投球とする」という見解を示したことから、日本野球機構もこれを承認した[15]ことでフォーム改造を余儀なくされ、その影響からか前半は勝ち星に恵まれず8勝(12敗)に終わるも9完投、3完封、3無四球完投はいずれもリーグ最多であり、自己最多の216回2/3と、前年に続き2年連続で200イニング以上を投げた。また5月9日の楽天戦で通算100勝を達成。
2007年6月20日から同年7月27日にかけて35イニング連続無失点を記録し、連続イニング無失点の球団記録を更新した[注 3]。また、プロ野球選手としての社会貢献活動が認められ第9回ゴールデンスピリット賞を受賞している。
2008年シーズンオフにFA権を行使した。当時の球団に不満を抱えており、横浜との交渉では金額の話よりもフロントに疑問点をぶつける事に時間を費やした[13]。阪神タイガースが三浦の獲得に動き、三浦自身も真剣に悩んでいたが、そんな最中にファン感謝デーがあり、ファンの声を直接聞き「強いところを倒して優勝したい」と考えるようになり残留を発表した[13][16]。横浜はこの頃からチームの主力選手のFA移籍が続いたが、他球団へ移籍したチームメイトについて三浦は「問題なのは球団だと思った。はっきり言って当時の横浜は出て行きたいチームだった」と振り返っている[17]。
2009年は失点、被本塁打ともリーグ最多を記録したが、3戦連続を含む6完投もリーグ最多だった。2年ぶりの2桁勝利となる11勝を挙げた。

2010年11月23日、横浜スタジアム
2010年は開幕前のオープン戦で振るわず開幕直前で二軍落ちとなった。その後一軍に復帰したが不安定な投球が多く3勝8敗と不振に陥り、1994年以来16年ぶりに投球回数が100イニングを下回った。この年のチームは開幕前の構想から外れた戦いを強いられたことでシーズン中盤までは粘ったが、後半は負け試合がさらに多くなり、3年連続最下位に終わってしまった中でも自身の不振は大きく響いた。
2011年7月10日の対中日戦(横浜スタジアム)に先発して勝利投手となり、19年連続勝利の球団記録を更新した。この年の三浦は開幕当初こそ二軍落ちする不本意な成績であったが、イースタン・リーグでの調整を通して全身を鍛えるために短距離ダッシュを繰り返すなど独自の練習で調整するなか、往年の球威と制球力を取戻して7月に昇格するとシーズン終了まで先発ローテーションを守り抜き、この年のチームで唯一の完投・完封を含む、チーム最多タイ(高崎健太郎と同数)の5勝を記録した。投球回数も規定投球回には達しなかったものの、2年ぶりに100イニングを超えるなど健在ぶりを発揮した。
2012年には、4月1日の対阪神戦(京セラドーム大阪)で勝利投手となり、横浜DeNAベイスターズとしての球団初勝利となった。7月4日の対巨人戦で、2005年8月23日以来となる2507日ぶりの巨人戦勝利となり、同時に通算150勝を達成した[注 4][18]。通算150勝を挙げて以降は調子を上げて前半戦は8勝を挙げ、3年ぶりのオールスターゲームにも出場。チームトップの9勝を挙げリーグ最多の6完投を記録した。
2013年には、6月12日の対ロッテ戦(QVCマリン)で完封勝利し、小山正明の39歳1か月での球団最年長完封記録を39歳3か月で更新するなど[19]チームトップの9勝を挙げた。
2014年からは、投手として現役生活を続けながら一軍投手コーチを兼任している[20]。この年には開幕から4連敗を喫したが、7月13日のヤクルト戦で一軍公式戦22年連続勝利(米田哲也に並ぶNPB歴代3位)を達成した[注 5]ことを皮切りに5連勝。チームの後半戦巻き返しに貢献した。8月は1完投を含む3勝0敗、セ・リーグ唯一の防御率1点台(1.20)の活躍で月間MVPに選ばれた[21]。シーズン通算では、5勝6敗と負け越しながら、チーム5位の投球回数を記録した。
2015年には、5月5日の対ヤクルト戦で一軍でのシーズン初登板を果たすと、一軍公式戦23年連続勝利のNPB最長タイ記録を樹立[22](右投手としては新記録)。5月20日の同カードでは、一軍でのシーズン初安打を打ったことによって、一軍公式戦23年連続安打(NPBの投手新記録)を達成した[23]。さらに5月27日の対オリックス戦にも勝利したことで、シーズン初登板からの一軍公式戦3連勝を記録した。三浦はセ・リーグの40代投手では初めて、パシフィック・リーグを含めたNPBの投手としても最年長の記録であった。シーズン終了後には、NPB最年長(50歳)の山本昌や同期入団の斎藤隆(45歳)など、年齢で41歳の自身を上回る8選手[注 6]が相次いで現役を引退[24]。三浦自身は、11月28日に投手兼任コーチとしての契約を更改したことによって、2016年シーズンにおけるNPBの現役最年長選手になった[25]。
2016年には、7月11日の対中日戦(横浜)で先発投手としてシーズン初の一軍マウンドを経験。4回6失点という内容で敗戦投手になったが、2回裏の第1打席で一軍公式戦通算122本目の安打を打ったことによって一軍公式戦24年連続安打(野手を含めたNPB歴代4位タイ記録)を達成した[26]。さらにこの記録が「プロ野球の公式戦で投手が安打を打った最多連続年数」というギネス世界記録に認定されたため、三浦は8月22日に公式認定員から認定証が授与された[27]。同年は、一軍公式戦に登板しない期間も前年に続いて投手コーチとして一軍の遠征に帯同。遠征のない場合には、もっぱら二軍で投手としての調整を続けていた。

2016年9月29日、横浜スタジアムでの自身の引退試合で力投する三浦
この年は若手の台頭により8月を終えても一軍登板はこの1試合のみにとどまり、三浦も自身の中で引退を決意していた。9月16日の対阪神戦(甲子園)に先発投手としてシーズン2度目の一軍公式戦登板を果たすも、1回裏に福留孝介の本塁打で2点を失った末に4回1/3で降板し、シーズン2敗目を喫した。三浦はこの試合後に高田繁GMへ現役引退を申し入れ、球団側も引退を了承した。チームが9月19日に球団史上初のクライマックスシリーズ進出を決めたことを受け、翌20日にシーズン限りでの引退を表明した。理由を「自分では勝てなくなったから」[28]と語り、引退後の進路については「現役(生活)からは卒業するが、野球からは卒業しないので、ずっと野球に関わっていたい」と述べた[29]。
球団は、三浦が1998年から19年にわたって着用してきた背番号「18」を「横浜ナンバー」として「準永久欠番」にし[30]、着用にふさわしいとされる選手が現れた場合にのみ、球団と三浦による協議を経て継承を認めることを発表した[30]。その18番は、球団と三浦と協議した結果、2022年から小園健太が着用使用することが決定した。
三浦は本拠地の横浜スタジアムで行われた9月29日の2016年レギュラーシーズン最終戦に、先発投手として現役最後の登板に挑んだ[注 7]。この試合ではDeNAの全選手が三浦の背番号18を入れたユニフォームを着用(三浦含め、背ネームはなしの特別仕様)し、試合前には三浦の長男による始球式が行われた。三浦はこの試合のスタメンとして一軍初出場を果たしたヤクルトのルーキー・廣岡大志に初打席初本塁打となる3点本塁打を打たれるなど6回表終了時点で10失点を喫したが、アレックス・ラミレス監督の計らいもあって6回裏には現役最後の打席に立ち(結果は中飛)、次イニングも続投を決意。7回表のマウンドに向かう際、捕手の髙城俊人から最後の対戦打者への直球一本勝負を提案され、イニング先頭の雄平から三球で空振り三振を奪い降板となった。三浦も6回1/3で119球を投じ8三振を奪うも、12被安打10失点(自身初の2桁失点)という結果になった[32]。
試合後に三浦の引退セレモニーが開催され、三浦は「今は最高に気分が良く、『できることなら、このまま時間が止まってくれればな』と思っています。でも、チームはやっとクライマックスシリーズに出られます。どんどんチームが変わってきて、苦しかった時を乗り越えて、やっと『横浜DeNAベイスターズ、いいチームになっただろ』とみんなに自慢できます」「横浜一筋で25年来られたのも、皆さんのおかげです。これからの人生も、横浜一筋で来られたことを誇りに頑張っていきます。今シーズンをもちまして現役を引退致しますけれども、これからも三浦大輔はずーっと横浜です。ヨ・ロ・シ・ク!」と挨拶し、チームメイトから三浦の背番号にちなんで18回にわたって胴上げされた[33]。三浦の引退により、横浜大洋ホエールズに所属した選手と、1998年のリーグ優勝・日本一を経験した選手が全員引退した。同時に兼任していた一軍投手コーチも退任する意向を引退試合の翌日(9月30日)に球団へ伝え、退団を表明[34]。

現役引退後[編集]
横浜DeNA一軍投手コーチ時代(2019年2月11日、宜野湾市立野球場にて)
2017年以降はTBSテレビ・テレビ神奈川の野球解説者、日刊スポーツの野球評論家を務めながら、横浜DeNAのスペシャルアドバイザーとしても活動していた[35]。
スペシャルアドバイザーとしては、球団の標榜する「横浜スポーツタウン構想」に対する地域活動への参加やアドバイスをするという役割を担うこととなり「野球」「横浜」「横浜DeNAベイスターズ」の3つの軸を根幹として活動を展開していた。具体的な活動としては、野球教室の開催[36]やMLBの視察などである。視察では、元チームメイトのスティーブン・ランドルフの紹介でアリゾナ・ダイヤモンドバックスのマイク・ブッチャー投手コーチとの対談やメジャー・マイナー・ルーキーリーグ等の試合を観戦した。またドーザー・パークで行われたセントルイス・カージナルス傘下組織のシングルA、ピオリア・チーフスの試合では、試合前に来賓として始球式を行った[37]。2018年も引き続き、同職として活動を継続していくことが発表された[3]。
2019年シーズンより一軍投手コーチとして現場復帰[4]。背番号は準永久欠番となっている「18」[38]を引き続き背負う。コーチ業は選手兼任だった2016年以来3年ぶり、4年目のシーズンになる。
2020年シーズンより二軍監督に就任。

DeNA監督時代[編集]
2020年11月17日、2020年シーズンをもって退任するアレックス・ラミレスの後任として2021年シーズンからの一軍監督に就任することが発表された。背番号は現役時代から背負ってきた「18」から「81」に変更[39]。
2021年は梶谷隆幸、井納翔一が読売ジャイアンツへFA移籍した上、新型コロナウイルス感染対策の入国制限により、ネフタリ・ソト、タイラー・オースティン、エドウィン・エスコバーら外国人選手の合流が間に合わないまま開幕を迎えた。開幕から6連敗(2引き分けを挟む)を喫し、これはチームとして12年ぶり、新人監督ワーストタイの記録だった[40]。4月4日の広島東洋カープ戦(横浜スタジアム)で9戦目にして監督としての初勝利を挙げた[41]が、投打ともに奮わず、4月22日の中日ドラゴンズ戦(横浜)では球団の新人監督として山下大輔以来18年ぶりとなる10連敗を記録[42]。結局、4月を6勝21敗4分、借金15で終えた。5月以降は強力な打線を中心に奮起し、ルーキー・牧秀悟の活躍もあって一時は4位に浮上したが、終盤になると抑えの三嶋一輝、三嶋の代役に指名した山崎康晃が不調に陥って勝ちパターンが崩れた上、4番打者のオースティンの離脱も原因となり、10月12日の広島東洋カープ戦(マツダスタジアム)に敗れた事で12球団最速でクライマックスシリーズ出場の可能性が消滅した[43]。そして10月26日の東京ヤクルトスワローズ戦(横浜)に敗れたことで、1度も貯金を作れないまま6年ぶりの最下位が確定した[44]。

選手としての特徴[編集]
オーバースローから平均球速約139km/h[45]、最速148km/hのストレートと、カットボール、スライダー、フォーク、スローカーブ、シュートなどを投げ分ける技巧派。立浪和義は「カット系の小さいスライダーを覚えてから厄介な投手になった印象があります」と評価している[46]。また、90 km/h以下のスローカーブは他の投手にない武器であり主に緩急をつけるのに用いられている[47]。曲がりの大きな変化球があるわけではなかったが、微妙に変化するインローアウトローの出し入れが絶妙でストレートとの見分けが付きにくく、古田敦也は「これほど球種を読むのが難しいピッチャーはいなかった」と語る[12]。
最大の武器は抜群の制球力[48]。通算与四球率は2.42で、プロ8年目以降は1度も与四球率3.0を超えたことが無く、2.0以下は6度記録している[49]。2010年6月12日放送の『すぽると!』における「1/100 この選手がすごい!投手編・コントロール部門」で1位に選出されている。豊富なスタミナを活かした完投能力も併せ持っており、通算16回の無四球完投を記録している[50]。また2012年にはセ・リーグ最多の6完投を記録したが、39歳シーズンでの最多完投は歴代最年長である。2005年に最多奪三振のタイトルを獲得するなど三振を奪う能力も高かった他、プロ通算25年間、3276投球回700守備機会で失策数はわずか9(守備率.987)であることからも分かる通り、堅実なフィールディングも売りであった[51]。
2段モーションの先駆けかつ代表格の存在であったが、2006年以降にボークに関する規定の厳格化(2段モーションの禁止)によって投球モーションの変更を余儀なくされた[52]。この2段モーションは、上体に力が入りすぎてしまう投げ方を改善するために取り入れたもので、足を上げ直す事で軸足に体重が乗りタメを作る事ができる[12]。
通算172勝184敗のうち、阪神に対しては46勝32敗と阪神キラーとしても知られた[53]。阪神に対して特別意識していたことはないが、自身が子どもの頃から阪神ファンであったため、マウンド上で阪神の応援歌が聴けることや甲子園で7回まで投げるとジェット風船が上がる光景がマウンド上で見れるということがモチベーションにも繋がったという[54]。
打撃面では1993年から2016年にかけて24シーズン連続で安打を記録しているがこれは投手では歴代1位、野手を含めても歴代4位タイの記録である。

開幕カードでの成績[編集]
現役通算25年間で、開幕カードには通算13試合登板したが、開幕投手を務めた開幕戦と、開幕2・3試合目とでは登板成績が大きく異なる。

開幕戦未勝利[編集]
開幕投手を務めた回数は7回で、球団歴代最多の平松政次(9回)に次ぐ2位。しかし結果は7戦全敗と、全試合で敗戦投手になった。さらに開幕戦の7連敗は、2021年シーズン終了時点でNPB記録である[55][56]。一方で開幕2・3試合目の先発投手を務めた試合は6戦全勝している[57]。

試合日程

対戦チーム

球場

相手投手

試合結果

登板成績

備考
1999年4月2日
ヤクルト
横浜スタジアム
石井一久
ヤ 10-5 横
6.1回 打者27 被安6自責4 防5.68
1-1の同点で迎えた7回に連打を打たれて降板。この年は開幕から6連敗を経験し、6月20日の対ヤクルト14回戦でようやく初白星を挙げた。
2002年3月30日
広島
広島市民球場
佐々岡真司
横 1-2 広
7.2回 打者32 被安7自責2 防2.35
6回無失点と好投するも打線の援護に恵まれず、7回と8回での計2失点が響き敗戦。自身の開幕試合の中では、最も自責点と防御率の低い試合であった。
2004年4月2日
ヤクルト
明治神宮野球場
ジェイソン・ベバリン
横 1-3 ヤ
7.0回 打者26 被安5自責3 防3.86
相手投手のジェイソン・べバリンに本塁打を喫しながら7回3失点と奮投するも、5安打1得点と封じ込められた打線の援護がなく黒星。
2005年4月1日
中日
ナゴヤドーム
川上憲伸
横 0-4x 中
8.0回 打者33 被安4自責4 防4.50
8回終了まで無失点と好投するも、9回裏にアレックス・オチョアにサヨナラ満塁本塁打を被弾。自身の開幕試合の中では、最も被安打数が少なく、長いイニング数を投げた試合であった。
2006年3月31日
巨人
東京ドーム
上原浩治
横 2-12 巨
4.0回 打者20 被安5自責6 防13.50
初回に4失点、3回に2失点で早々に巨人打線につかまり敗戦。自身最短の開幕ノックアウトを喫してしまった上に、相手の上原にも完投勝利を許してしまった。
2007年3月30日
巨人
横浜スタジアム
内海哲也
巨 3-2 横
6.0回 打者28 被安8自責3 防4.50
高橋由伸に開幕戦初回先頭打者初球本塁打[注 8]を許してしまう。一時は打線が逆転したが、4回にソロ本塁打を2本被弾して2失点。その後、打線の援護が遠のき敗戦。
2009年4月3日
中日
ナゴヤドーム
浅尾拓也
横 1-4 中
7.0回 打者26 被安5自責4 防5.14
2年ぶりに開幕投手となるが、和田一浩に2本塁打を喫するなど7回4失点。これによって開幕投手7連敗となり、東尾修を抜いてプロ野球記録となった。これを最後に、引退するまで開幕投手を務めることはなかった。
通算:7試合
7試合:0勝7敗46.0回 打者192 被安40自責26 防5.09

2010年の開幕はキャンプの段階で指名されていたが、自身の調整が遅れたためスティーブン・ランドルフが務めた[注 9]。

監督として[編集]
就任会見では攻撃面の采配について、「(バントや盗塁は)必要に応じてやっていく。これと固執するのではなく柔軟な姿勢でその時状態の良い選手を見極めやっていきたい」 と答え、先発投手の起用法についても「先発投手だからこうしなきゃいけないというものはない」 と固定観念に囚われない、柔軟な姿勢を取ることを強調した[58]。ところが、最下位に終わった就任初年度の2021年シーズン終了時には「入り込みすぎて、あまりにも視野が狭くなっていた。シーズンを戦っていくなかで春先を振り返ったときに、そう感じることがありました。『こうしないといけない』って思い込みすぎていた部分もあった」と反省を口にしている[59]。
視野狭窄から脱け出すきっかけとなったのは、球団に研修を行うこともある外部講師から「鳥の目、虫の目、魚の目」という言葉をシーズン中に教わったことだった(「鳥の目」は鳥のように全体を俯瞰すること、「魚の目」は魚のように潮の流れにのっていくこと、「虫の目」は虫のように細部に近づいて見つめることを指し、これらの視点から事象を見つめること[60])。その後の采配の変化として打率が高いながらも打点が伸び悩んでいた佐野恵太を4番打者から変更したことが挙げられている[59]。
投手出身の監督だが、攻撃面に関する取り組みが多い。就任会見から一貫して「1点でも多く取る野球」を掲げ、春季キャンプでは前年リーグ最少に終わった盗塁数の向上や犠打の精度向上に取り組んだ[61]。2021年は二軍監督時代に主に起用していた桑原将志、宮本秀明、関根大気ら俊足の外野手を春季キャンプから一軍に抜擢し、桑原は4年振りに規定打席に到達する復活を遂げた。また、2番打者には柴田竜拓や捕手の伊藤光など、小技に長ける打者を中心に起用した。しかし盗塁数はリーグ最下位の31盗塁[62]に終わり、得点数はリーグ2位だったものの、1試合平均では3.91点で、前年の4.30点を下回った。犠打数はリーグ5位の81個だった。
春季キャンプやシーズン中のシート打撃にて、自らが打撃投手を務めることもあった[63]。

人物・エピソード[編集]
リーゼントの髪型がトレードマークで、通称「ハマの番長」と評される。番長と呼ばれるが、若い頃から揉め事とは無縁で穏やかな性格である[8]。坊主頭が当たり前だった中学・高校時代に夢中になった漫画『ビー・バップ・ハイスクール』や、大好きだった矢沢永吉やエルビス・プレスリーからの影響で、髪が伸びたらリーゼントにしたいと憧れを抱き[64]、プロに入ってすぐ矢沢の自伝『成りあがり』を読みポマードを買って髪を固めた[12]。当時の横浜のコーチ陣からの心証は悪く、罰金を払うか髪を切るか選択を迫られたこともあったが、三浦は当然のように罰金を選択し、リーゼントの髪型を死守していた。リーゼントの髪型は、ドラフト6位での入団と注目されない立場だったことから「目立ちたい」という気持ちも理由にあったというが、「リーゼントだから」と周りに言われぬよう「リーゼントにする以上は、野球だけはちゃんとやろう」と思うようにもなった[65]。現役引退会見にもリーゼント姿で登場し「現役から卒業しても、リーゼントの髪型をできる限り続けたい」との意向を示した[66]。
外見で目立つだけではなく若手の頃から練習の虫でもあり、ドラフト同期で大卒1位入団の斎藤隆は「入団当時は同じルーキーの中では運動能力も投手としての評価も低かったが、足が遅くても最後まで走り続け練習を最後までやり続けてたのが大輔で、時間が経てば経つほど投手としての評価を上げていった」と明かしている[67]。三浦を一軍で活躍する投手に育て上げた小谷正勝曰く、三浦の一番の長所は臨機応変さで、「コレがダメなら次はコレ」と研究熱心に取り組み、そこで養った修正能力には何度も感心させられたという[12]。バッテリーを組んでいた後輩の相川亮二は「僕が横浜に入団したときはまだ寮も一緒で、こういうストイックな方がプロ野球で活躍して、人気も実力もあるチームの看板選手になっていくんだろうなと思っていました。」と、寮生時代からプロ野球選手としてお手本になるような存在だったと語っている[68]。
野球道具はプロ入り1年目からずっとミズノ製品を使用し、活躍するようになってからはアドバイザリー契約を結んでいた[69]。手が大きかったためサイズは大きめで、球種をバレにくくするために包み込むような深めのポケットのグラブを使用していた[69]。

矢沢永吉への敬意 [編集]
前述の通り矢沢永吉の大ファンであり、シーズンオフは皮のジャケットに身を包み、タオルを首に巻いて矢沢の日本武道館でのコンサートに足を運ぶ[12]。ユニホームの背ネームの「D.MIURA」は他に三浦姓がいなくてもDを付けているが、「E.YAZAWA」を意識して付けている[70]。使用していたバットのグリップに白いテープを巻き付けていたのも矢沢のマイクスタンドをイメージしている[69]。2016年の引退試合後に行われたセレモニーでは、矢沢本人からのVTRメッセージが流された[71]。

社会貢献[編集]
子どもたちとの交流を大事にし、2004年から現役引退の2016年まで13シーズンに渡って『三浦大輔選手グローブプレゼント』と称し、ホームゲームで毎試合5つ、合計で約4500個以上のグローブを子どもたちにプレゼントしてきた[72]。2005年には自身の発案で横浜市内の小学校を訪問し子どもたちと夢を語り合う『星に願いをプロジェクト』を開始し、横浜の選手会が活動を続けている[73]。また、社会福祉協議会にシーズンシートを寄付し障害者を自費で横浜スタジアムに招待したり、難病を抱える子どもたちとキャッチボールをしたりと交流の場を持ち、社会貢献活動を積極的に続けている[73][74]。

持病を抱えながら[編集]
プロ3年目となる1994年に肝機能障害を発症[75]。1996年、1998年と入院を繰り返し[76]、1998年は12勝7敗とチームの優勝に貢献したが、8月の優勝争いの佳境に体調が悪化し1ヶ月ほど入院生活を送っていた[77]。これをきっかけに食生活をはじめ体調管理を徹底しプロ生活を送ってきたが[75]、その後も持病として抱え続けている[78]。もともと三浦は酒も飲まず、この肝機能障害も原因は不明[76]。プロ野球人生で一番苦しかったのは肝機能障害による体調悪化でシーズン中に投げたくても投げられなかった事だと語る[79]。

交友関係[編集]
プロレス関係者との交流が深い。1998年1月4日に東京ドームで行われた新日本プロレスの「FINAL POWER HALL in 闘強導夢」の第8試合、蝶野正洋対越中詩郎戦ではnWoジャパン構成員として、鈴木尚典と共に蝶野のセコンドに付いた。2002年には魔界倶楽部総裁の星野勘太郎から「魔界18号」と命名されている。また、親交の深かった橋本真也が2005年に急逝した直後の7月13日の広島戦(横浜スタジアム)では橋本の入場テーマ「爆勝宣言」でマウンドに上がって見事完封勝利を収め、ヒーローインタビューで涙を流した。2009年10月12日に両国国技館で行われた蝶野の25周年記念大会にも足を運び、大会終了後には蝶野、そして武藤敬司とのスリーショット写真を自身のブログにアップしている。2015年2月27日の春季キャンプ終了後には新日本プロレスの沖縄県立武道館大会を観戦し、大会終了後には天山広吉との2ショット写真に収まり、天山が自身のTwitter上でその写真をアップしたツイートを投稿した[80]。天山は翌年の三浦の現役最後の登板となった9月29日のヤクルト戦も横浜スタジアムのスタンドで試合を観戦した[81]。

ブログ[編集]
自身のブログには、三浦自身が見つけたものや見かけたもの(モニュメント、花、景色)や季節、チームメイトの山口俊・牛田成樹・加賀繁やトレーナー、裏方などといった三浦と交流がある人物、本拠地である横浜スタジアムの様子、自身が出演するメディアの情報、さらには飼っているミニチュアダックスフント「ラブ(三浦が現役引退した直後の2017年2月に死去)」「シュガー」「ルーキー」の様子などが原則1日1回のペースで更新されている。ブログに載せている写真はほぼ全て自ら撮影しているため、常に右端の同じ位置でフレームインしている。長年の投手生活で利き腕の右肘が伸びなくなっているので、伸ばすことのできる左腕で撮影していると語っている[82]。登板した試合で勝利投手となった日は、既にブログを更新している場合でも勝利を表す白星(☆)を1個ずつシーズン勝利数の分だけ積み重ねて再度更新するなど、ファンとの交流を非常に大切にしている。なお、監督就任後初の開幕戦前日の2021年3月25日に「しばらくお休みします」とブログの休止を発表した。

家族[編集]
実家は奈良にあるが両親は大阪で花屋を営んでおり、父親は花屋の二代目である[8]。男三人兄弟の長男で、俳優をやっている弟の三浦剛は次男にあたる[1]。二人の弟も野球をやっており高田商業高校でプレーした[8]。
高校の先輩である現夫人と1995年に結婚[83]し、一男一女を儲ける。娘の凪沙(なぎさ)(1997年9月30日生)はサンケイスポーツで競馬担当記者として勤務しており、紙上に予想コラムも担当している[84]。

馬主として[編集]
大の競馬ファンとして知られ、2011年には日本中央競馬会の馬主登録も行った。冠名は「リーゼント」。現役プロ野球選手として初めて競走馬「リーゼントブルース」を所有した。

所有馬一覧[編集]
2021年1月28日現在[85]
リーゼントブルース – 牡・36戦3勝(引退・中山競馬場で誘導馬[86])
リーゼントロック – 牡・50戦6勝(引退・京都競馬場で誘導馬[87])
リーゼントフォルテ – 牝・7戦0勝(引退)
リーゼントシャルフ – 騸・33戦7勝(引退)
リーゼントアイリス – 牝・30戦1勝(現役)
リーゼントフラム – 牡・2戦0勝(引退)
マリーナ – 牝・9戦1勝(現役)詳細情報[編集]
年度別投手成績[編集]
年度
球団
登板
先発
完投
完封
無四球
勝利
敗戦
セ丨ブ
ホ丨ルド
勝率
打者
投球回
被安打
被本塁打
与四球
敬遠
与死球
奪三振
暴投
ボ丨ク
失点
自責点
防御率
WHIP
1992

大洋横浜DeNA

1
0
0
0
0
0
0
0

—-
6
2.0
0
0
0
0
0
1
0
0
0
0
0.00
0.00
1993

15
8
1
0
0
3
3
0

.500
255
60.1
60
4
21
1
2
61
2
0
23
23
3.43
1.34
1994

17
6
1
1
0
2
2
0

.500
228
47.2
61
2
25
0
0
35
2
1
27
23
4.34
1.80
1995

25
22
3
0
1
8
8
0

.500
619
147.2
131
17
52
5
4
107
5
0
66
64
3.90
1.24
1996

34
21
4
0
0
5
10
0

.333
582
131.1
151
17
55
1
1
101
0
0
82
72
4.93
1.57
1997

26
22
4
1
1
10
3
0

.769
578
142.1
113
9
51
1
3
129
4
1
54
53
3.35
1.15
1998

25
24
2
1
0
12
7
0

.632
656
158.2
138
12
60
3
3
119
4
0
64
56
3.18
1.25
1999

30
25
4
3
1
9
10
0

.474
729
175.0
174
22
51
1
2
130
2
0
92
83
4.27
1.29
2000

24
24
4
0
1
11
6
0

.647
665
164.2
154
22
32
0
3
122
3
0
64
59
3.22
1.15
2001

26
25
5
2
0
11
6
0

.647
673
168.2
137
14
53
6
2
135
1
0
56
54
2.88
1.13
2002

19
18
4
2
2
4
10
0

.286
488
119.2
108
12
28
6
2
100
1
0
46
43
3.23
1.14
2003

15
15
1
0
0
5
5
0

.500
420
101.1
94
18
21
3
5
82
1
0
48
46
4.09
1.13
2004

22
22
1
0
1
6
8
0

.429
618
144.0
158
17
33
0
5
135
7
0
69
68
4.25
1.33
2005

28
28
10
2
3
12
9
0
0
.571
856
214.2
168
20
52
2
4
177
4
0
68
60
2.52
1.02
2006

30
30
9
3
3
8
12
0
0
.400
912
216.2
227
19
44
5
5
160
3
0
94
83
3.44
1.25
2007

28
28
4
3
0
11
13
0
0
.458
793
185.1
184
15
51
3
7
159
5
0
74
63
3.06
1.27
2008

21
21
4
1
1
7
10
0
0
.412
589
144.0
137
22
29
0
4
111
4
0
63
57
3.56
1.15
2009

28
28
6
1
0
11
11
0
0
.500
799
195.1
175
28
37
1
4
138
2
0
82
72
3.32
1.09
2010

16
16
0
0
0
3
8
0
0
.273
365
79.2
108
12
23
3
4
58
2
0
67
64
7.23
1.64
2011

18
18
2
1
0
5
6
0
0
.455
463
111.1
96
9
31
2
7
74
1
0
39
36
2.91
1.14
2012

25
25
6
1
1
9
9
0
0
.500
738
182.2
160
15
48
4
3
107
4
0
61
58
2.86
1.14
2013

27
27
2
1
0
9
13
0
0
.409
731
175.2
181
26
33
0
1
109
5
0
88
77
3.94
1.22
2014

15
15
1
0
1
5
6
0
0
.455
403
94.2
99
14
23
2
4
55
3
0
38
32
3.04
1.29
2015

17
17
0
0
0
6
6
0
0
.500
416
98.0
103
9
25
0
1
62
5
0
47
45
4.13
1.31
2016

3
3
0
0
0
0
3
0
0
.000
75
14.2
29
3
4
0
0
14
0
0
18
18
11.05
2.25
通算:25年

535
488
78
23
16
172
184
0
0
.483
13657
3276.0
3146
358
882
49
76
2481
70
2
1430
1309
3.60
1.23
各年度の太字はリーグ最高
大洋(横浜大洋ホエールズ)は、1993年に横浜(横浜ベイスターズ)に球団名を変更
横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更年度別守備成績[編集]
年度
球団
投手
試合
刺殺
補殺
失策
併殺
守備率
1992

大洋横浜DeNA

1
0
0
0
0

1993

15
3
6
0
0
1.000
1994

17
2
10
1
0
.923
1995

25
10
24
1
2
.971
1996

34
9
21
1
4
.968
1997

26
5
18
0
2
1.000
1998

25
5
18
0
1
1.000
1999

30
4
25
0
2
1.000
2000

24
11
15
1
0
.963
2001

26
7
29
1
5
.973
2002

19
6
17
1
0
.958
2003

15
4
13
0
2
1.000
2004

22
6
28
0
1
1.000
2005

28
8
24
1
2
.970
2006

30
6
49
0
2
1.000
2007

28
7
36
1
1
.977
2008

21
3
18
0
0
1.000
2009

28
12
43
0
1
1.000
2010

16
6
18
0
1
1.000
2011

18
6
22
1
4
.966
2012

25
8
49
0
3
1.000
2013

27
8
39
0
1
1.000
2014

15
4
12
0
0
1.000
2015

17
2
14
0
0
1.000
2016

3
0
1
0
1
1.000
通算:25年

535
142
549
9
35
.987
タイトル[編集]
最優秀防御率:1回(2005年)
最多奪三振:1回(2005年)
最高勝率:1回(1997年)※(当時連盟表彰なし)。セントラル・リーグでは、1972年までと2013年以降表彰表彰[編集]
月間MVP:4回(投手部門:2000年8月、2005年8月、2007年7月、2014年8月)
優秀JCB・MEP賞:1回(2005年)
ゴールデンスピリット賞(2007年)
スピードアップ賞:2回(2009年、2014年)
「ジョージア魂」賞:1回(2014年度第8回)
オールスターゲーム優秀選手賞:2回(2002年第1戦、2006年第1戦)
オールスターゲームベストピッチャー賞:1回(2009年第1戦)
オールスターゲームSANYO賞:1回(2006年第1戦)
セ・リーグ連盟特別表彰(功労賞:2016年)
ベスト・プラウド・ファーザー賞 in「プロ野球部門」(2013年)
横浜文化賞(2017年)記録[編集]
初記録初登板:1992年10月7日、対読売ジャイアンツ26回戦(横浜スタジアム)、7回表から3番手として救援登板、2回無失点[88]
初奪三振:同上、8回表に篠塚和典から[89]
初先発:1993年8月1日、対広島東洋カープ17回戦(広島市民球場)、5回2失点[90]
初勝利・初完投勝利:1993年9月4日、対広島東洋カープ21回戦(北九州市民球場)、9回1失点[91]
初完封勝利:1994年4月22日、対広島東洋カープ1回戦(横浜スタジアム)[92]
初本塁打:1999年10月2日、対中日ドラゴンズ26回戦(横浜スタジアム)、川上憲伸から ※生涯唯一の本塁打節目の記録1000投球回:2000年9月10日、対広島東洋カープ24回戦(横浜スタジアム)、1回表二死目に東出輝裕を右飛で達成 ※史上284人目
1000奪三振:2002年6月6日、対ヤクルトスワローズ8回戦(横浜スタジアム)、2回表に坂元弥太郎から ※史上109人目
1500投球回:2004年6月19日、対中日ドラゴンズ13回戦(ナゴヤドーム)、2回裏一死目にアレックス・オチョアを三振で達成 ※史上152人目
100勝:2006年5月9日、対東北楽天ゴールデンイーグルス1回戦(横浜スタジアム)、先発で8回2失点 ※史上119人目
1500奪三振:2006年6月18日、対西武ライオンズ6回戦(インボイスSEIBUドーム)、6回裏に和田一浩から ※史上47人目
2000投球回:2007年3月30日、対読売ジャイアンツ1回戦(横浜スタジアム)、6回表一死目に小坂誠を投ゴロで達成 ※史上82人目
2500投球回:2009年9月21日、対阪神タイガース22回戦(横浜スタジアム)、2回表二死目に安藤優也を捕邪飛で達成 ※史上44人目
2000奪三振:2009年10月3日、対中日ドラゴンズ24回戦(横浜スタジアム)、4回表に堂上剛裕から ※史上19人目
150敗:2012年6月17日、対福岡ソフトバンクホークス4回戦(福岡ドーム)、8回1失点で完投敗 ※史上27人目
150勝:2012年7月4日、対読売ジャイアンツ7回戦(横浜スタジアム)、7回3失点6奪三振 ※史上47人目
3000投球回:2013年7月24日、対中日ドラゴンズ13回戦(ナゴヤドーム)、5回裏二死目に谷繁元信を一邪飛で達成 ※史上27人目
500試合登板:2013年10月5日、対中日ドラゴンズ24回戦(ナゴヤドーム)で先発登板、9回3失点で勝敗つかず(自責点0) ※史上91人目その他の記録連続シーズン勝利:23年(1993年 – 2015年) ※NPBタイ記録
連続シーズン安打:24年(1993年 – 2016年) ※NPB歴代4位[93][注 10][注 11]
連続シーズン暴投:16年(1997年 – 2015年) ※NPBタイ記録
連続シーズン2桁先発:21年(1995年 – 2015年) ※NPB歴代1位
開幕3戦3勝:2015年 ※NPB最年長記録
フランチャイズ・プレイヤー:デビューから引退まで25年間にわたって同一球団へ在籍
オールスターゲーム出場:6回(2002年、2004年、2006年、2009年、2012年、2013年)背番号[編集]
46(1992年 – 1997年)
18(1998年 – 2016年、2019年 – 2020年)
17(2004年アテネ五輪)
81(2021年 – )登場曲[編集]
「リーゼントブルース」RIKI(マウンド)
「サイコーなRock You!」矢沢永吉(打席)年度別監督成績[編集]
年度
球団
順位
試合
勝利
敗戦
引分
勝率
ゲ|ム差
本塁打
打率
防御率
年齡
2021
DeNA
6位

143
54
73
16
.425
20.0
136
.258
4.15
47歳
通算:1年

143
54
73
16
.425
Aクラス0回 Bクラス1回
出演作品[編集]
テレビ番組[編集]
『三浦大輔のハマ番』(GAORA)
『課外授業 ようこそ先輩』(NHK総合テレビ)ラジオ番組[編集]
『三浦大輔のスポーツボンバー!』(TBSラジオ)
『エキサイト・スタジアム』(TBSラジオ) 水曜日
『三浦大輔の輝け!ベイスターズ』(TBSラジオ)三浦の地元・大阪市に本社のある毎日放送では、毎年のシーズンオフ(11月中旬 – 12月下旬)に、三浦が半日がかりで複数のテレビ・ラジオ番組へゲストで出演することが2005年頃から恒例になっている[注 12]。

テレビドラマ[編集]
『花嫁は厄年ッ!』第1話(2006年7月6日、TBS) – 本人 役
『99.9-刑事専門弁護士- SEASON II』最終回(2018年3月18日、TBS) – 三村大介 役
神奈川発地域ドラマ R134/湘南の約束(2018年6月27日、NHK BSプレミアム) – バーの店長 役[94]映画[編集]
『ROOKIES -卒業-』※特別出演PV[編集]
「PLAY THE GAME」ロードオブメジャーライヴ[編集]
L’Arc〜en〜Ciel 「20th L’Anniversary Live」(ライヴ途中のCMで、”祝・20周年”と書かれたボールを手に映像で登場)CM[編集]
ありあけのハーバー(2016年12月24日 – )著書[編集]
横浜ベイスターズ三浦大輔の心・技・体(ベースボール・マガジン社、2006年11月) ISBN 4-583-61424-1
打てるもんなら打ってみろ!(ロングセラーズ、2008年6月) ISBN 4-8454-2119-4
逆境での闘い方 ~折れない心をつくるために~(大和書房、2012年11月) ISBN 4-479-79368-2
踏み出せば何かが変わる(青志社、2018年1月) ISBN 4-865-90058-6脚注[編集]
注釈[編集]

^ 長弟は演劇集団キャラメルボックスに所属する三浦剛で、大輔が2004年のアテネオリンピックに出場した際には、当時キャラメルボックスで上演されていた公演グッズであるタオルマフラーを使用していた。また、大輔のラジオ番組に兄弟で共演を果たしたほか、剛はプロ野球の始球式で投げたことがある。末弟は、地元・橿原でカイロプラクティック[5]を経営している。

^ この試合は遠藤一彦の引退登板でもあった。

^ それまでは平松政次の33回1/3。

^ 三浦はこの時点で通算151敗を記録しており、150勝到達時点で負け星が先行したのは東尾修(170敗)、坂井勝二(157敗)、米田哲也(152敗)に次いで史上4人目。

^ 歴代1位は工藤公康、山本昌(23年)。

^ 山本・斎藤以外に、中嶋聡、谷繁元信、和田一浩、西口文也、谷佳知、小笠原道大の6選手(年齢順に記載)が該当。

^ 当初は9月24日の対読売ジャイアンツ戦を予定していたが、9月22日雨天中止分の対東京ヤクルトスワローズ第25回戦が9月29日に組み込まれたため、29日の同カードに変更された[31]。

^ セ・リーグ史上初、1962年の衆樹資宏(阪急)以来45年ぶり。

^ 結果は4回5失点で敗戦投手であった。

^ 投手としては歴代1位。

^ 25年以上は、谷繁元信の27年、野村克也、山崎武司の25年。

^ 2012年時点での主な出演番組は『痛快!明石家電視台』『ちちんぷいぷい』(いずれもMBSテレビ)『上泉雄一のええなぁ!』『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』(いずれもMBSラジオの生ワイド番組)。出演が続いている背景には、ベイスターズファンの新堂裕彦(毎日放送テレビ制作部プロデューサー、以前はラジオプロデューサーとして『上泉雄一のええなぁ!』『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』を担当)が、長年にわたって三浦と親しくしていることなどが挙げられる(両者が複数の番組で証言)。

出典[編集]

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関連項目[編集]
奈良県出身の人物一覧
横浜DeNAベイスターズの選手一覧
オリンピックの野球競技・メダリスト一覧
日本のプロ野球監督一覧外部リンク[編集]
個人年度別成績 三浦大輔 – NPB.jp 日本野球機構
選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、 The Baseball Cube
三浦大輔オフィシャルブログ「ハマの番長」 – Ameba Blog
永遠番長(横浜DeNAベイスターズ公式サイト。三浦大輔の引退特設ページ)
三浦大輔監督 横浜DeNAベイスターズ公式サイト表話編歴横浜DeNAベイスターズ 2022監督
81 三浦大輔

一軍コーチ
83 青山道雄(ヘッド)
75 石井琢朗(野手総合)
77 鈴木尚典(打撃)
91 齋藤隆(チーフ投手)
73 木塚敦志(投手)
97 田中浩康(内野守備走塁)
71 小池正晃(外野守備走塁)
80 相川亮二(バッテリー)
76 田代富雄(巡回打撃)二軍監督・コーチ
87 仁志敏久(監督)
82 万永貴司(総合)
90 大村巌(打撃)
84 嶋村一輝(打撃)
70 下園辰哉(打撃)
78 大家友和(投手)
94 小杉陽太(投手)
88 永池恭男(守備走塁)
85 柳田殖生(守備走塁)
74 鶴岡一成(バッテリー)
89 藤田和男(育成)投手
11 東克樹
12 阪口皓亮
13 伊勢大夢
14 石田健大
15 徳山壮磨
16 大貫晋一
17 三嶋一輝
18 小園健太
19 山﨑康晃
20 坂本裕哉
21 今永昇太
22 入江大生
26 濵口遥大
27 上茶谷大河
30 三浦銀二
34 平田真吾
35 三上朋也
40 松本隆之介
41 櫻井周斗
42 ロメロ
43 深沢鳳介
45 ガゼルマン
46 田中健二朗
47 砂田毅樹
48 京山将弥
49 クリスキー
53 池谷蒼大
54 浅田将汰
56 髙田琢登
59 平良拳太郎
62 エスコバー
64 中川虎大
65 宮國椋丞
67 有吉優樹
68 森原康平
92 宮城滝太
95 石川達也捕手
10 戸柱恭孝
29 伊藤光
32 益子京右
36 髙城俊人
39 嶺井博希
50 山本祐大
57 東妻純平内野手
2 牧秀悟
3 藤田一也
5 倉本寿彦
6 森敬斗
9 大和
31 柴田竜拓
33 粟飯原龍之介
38 田中俊太
44 小深田大地
51 宮﨑敏郎
55 田部隼人
60 知野直人
66 山下幸輝
99 ソト外野手
00 宮本秀明
0 大田泰示
1 桑原将志
7 佐野恵太
8 神里和毅
23 オースティン
37 楠本泰史
52 細川成也
58 梶原昂希
61 蝦名達夫
63 関根大気育成選手
028 勝又温史(外野手)
102 加藤大(投手)
103 村川凪(外野手)
104 東出直也(捕手)
105 大橋武尊(外野手)
107 マルセリーノ(投手)
109 ディアス(投手)
110 スターリン(投手)
表話編歴横浜DeNAベイスターズ監督 2021 –
渡辺大陸 1950
中島治康 1951
有馬義一 1951
小西得郎 1952 – 1953
永沢武夫 1954
藤井勇 1955
迫畑正巳 1956 – 1958
森茂雄 1959
三原脩 1960 – 1967
別当薫 1968 – 1972
青田昇 1973
宮崎剛 1974
秋山登 1975 – 1976
別当薫 1977 – 1979
土井淳 1980 – 1981
関根潤三 1982 – 1984
近藤貞雄 1985 – 1986
古葉竹識 1987 – 1989
須藤豊 1990 – 1992
江尻亮 1992
近藤昭仁 1993 – 1995
大矢明彦 1996 – 1997
権藤博 1998 – 2000
森祇晶 2001 – 2002
山下大輔 2003 – 2004
牛島和彦 2005 – 2006
大矢明彦 2007 – 2009
尾花髙夫 2010 – 2011
中畑清 2012 – 2015
アレックス・ラミレス 2016 – 2020
三浦大輔 2021 – 現在
 業績表話編歴ゴールデンスピリット賞1990年代
1999 松井秀喜2000年代
2000 片岡篤史
2001 中村紀洋
2002 飯田哲也
2003 井上一樹
2004 赤星憲広
2005 ボビー・バレンタイン
2006 和田毅
2007 三浦大輔
2008 岩隈久志
2009 小笠原道大2010年代
2010 ダルビッシュ有
2011 山﨑武司
2012 藤川球児
2013 宮本慎也
2014 栗山巧
2015 今江敏晃
2016 内海哲也
2017 岩田稔
2018 井口資仁
2019 秋山翔吾2020年代
2021 矢野燿大
表話編歴セントラル・リーグ最多奪三振1950年代
1950 杉下茂
1951 金田正一
1952 金田正一
1953 金田正一
1954 杉下茂
1955 金田正一
1956 金田正一
1957 秋山登
1958 金田正一
1959 金田正一1960年代
1960 金田正一
1961 権藤博
1962 小山正明
1963 金田正一
1964 金田正一
1965 村山実
1966 村山実
1967 江夏豊
1968 江夏豊
1969 江夏豊1970年代
1970 江夏豊
1971 江夏豊
1972 江夏豊
1973 高橋一三
1974 金城基泰
1975 外木場義郎
1976 池谷公二郎
1977 池谷公二郎
1978 斉藤明雄
1979 新浦寿夫1980年代
1980 江川卓
1981 江川卓
1982 江川卓
1983 遠藤一彦
1984 遠藤一彦
1985 小松辰雄
1986 遠藤一彦
1987 川口和久
1988 槙原寛己
1989 川口和久1990年代
1990 木田優夫
1991 川口和久
1992 仲田幸司
1993 今中慎二
1994 桑田真澄
1995 斎藤雅樹
1996 斎藤隆
1997 山本昌
1998 石井一久
1999 上原浩治2000年代
2000 石井一久
2001 野口茂樹
2002 井川慶
2003 上原浩治
2004 井川慶
2005 門倉健, 三浦大輔
2006 川上憲伸, 井川慶
2007 内海哲也
2008 C.ルイス
2009 C.ルイス2010年代
2010 前田健太
2011 前田健太
2012 杉内俊哉, 能見篤史
2013 R.メッセンジャー
2014 R.メッセンジャー
2015 藤浪晋太郎
2016 菅野智之
2017 M.マイコラス
2018 菅野智之
2019 山口俊2020年代
2020 大野雄大
2021 柳裕也
1991年にタイトル制定
表話編歴セントラル・リーグ最優秀防御率1950年代
1950 大島信雄
1951 松田清
1952 梶岡忠義
1953 大友工
1954 杉下茂
1955 別所毅彦
1956 渡辺省三
1957 金田正一
1958 金田正一
1959 村山実1960年代
1960 秋山登
1961 権藤博
1962 村山実
1963 柿本実
1964 G.バッキー
1965 金田正一
1966 堀内恒夫
1967 権藤正利
1968 外木場義郎
1969 江夏豊1970年代
1970 村山実
1971 藤本和宏
1972 安田猛
1973 安田猛
1974 関本四十四
1975 安仁屋宗八
1976 鈴木孝政
1977 新浦寿夫
1978 新浦寿夫
1979 平松政次1980年代
1980 松岡弘
1981 江川卓
1982 斉藤明夫
1983 福間納
1984 小林誠二
1985 小松辰雄
1986 北別府学
1987 桑田真澄
1988 大野豊
1989 斎藤雅樹1990年代
1990 斎藤雅樹
1991 佐々岡真司
1992 盛田幸妃
1993 山本昌広
1994 郭源治
1995 T.ブロス
1996 斎藤雅樹
1997 大野豊
1998 野口茂樹
1999 上原浩治2000年代
2000 石井一久
2001 野口茂樹
2002 桑田真澄
2003 井川慶
2004 上原浩治
2005 三浦大輔
2006 黒田博樹
2007 高橋尚成
2008 石川雅規
2009 チェン2010年代
2010 前田健太
2011 吉見一起
2012 前田健太
2013 前田健太
2014 菅野智之
2015 K.ジョンソン
2016 菅野智之
2017 菅野智之
2018 菅野智之
2019 大野雄大2020年代
2020 大野雄大
2021 柳裕也
表話編歴セントラル・リーグ最優秀勝率投手1950年代
1950 大島信雄
1951 松田清
1952 藤村隆男
1953 大友工, 石川克彦
1954 杉下茂
1955 大友工
1956 堀内庄
1957 木戸美摸
1958 藤田元司
1959 藤田元司1960年代
1960 秋山登
1961 伊藤芳明
1962 小山正明
1963 山中巽
1964 石川緑
1965 山中巽
1966 堀内恒夫
1967 堀内恒夫
1968 島田源太郎
1969 高橋一三1970年代
1970 村山実
1971 坂井勝二
1972 堀内恒夫
1973 倉田誠
1974 松本幸行
1975 星野仙一
1976 加藤初
1977 新浦寿夫
1978 鈴木康二朗
1979 藤沢公也1980年代
1980 福士敬章
1981 江川卓
1982 都裕次郎
1983 津田恒美
1984 江川卓
1985 北別府学
1986 北別府学
1987 川端順
1988 小野和幸
1989 西本聖1990年代
1990 斎藤雅樹
1991 北別府学
1992 斎藤雅樹
1993 山本昌広
1994 紀藤真琴
1995 石井一久
1996 斎藤雅樹
1997 三浦大輔
1998 桑田真澄
1999 上原浩治2000年代
2000 工藤公康
2001 入来祐作
2002 上原浩治
2003 井川慶
2004 上原浩治
2005 安藤優也
2006 川上憲伸
2007 高橋尚成
2008 館山昌平
2009 D.ゴンザレス2010年代
2010 久保康友
2011 吉見一起
2012 杉内俊哉
2013 小川泰弘
2014 山井大介
2015 M.マイコラス
2016 野村祐輔
2017 薮田和樹
2018 大瀬良大地
2019 山口俊2020年代
2020 菅野智之
2021 青柳晃洋
1973年から2012年までは表彰なし
表話編歴横浜ベイスターズ開幕投手1950年代
1950 今西錬太郎
1951 高野裕良
1952 高野裕良
1953 江田貢一
1954 権藤正利
1955 権藤正利
1956 江田孝
1957 大石正彦
1958 大石正彦
1959 鈴木隆1960年代
1960 幸田優
1961 秋山登
1962 島田源太郎
1963 稲川誠
1964 稲川誠
1965 稲川誠
1966 秋山登
1967 森中千香良
1968 森中千香良
1969 平岡一郎1970年代
1970 平松政次
1971 平松政次
1972 山下律夫
1973 平松政次
1974 平松政次
1975 平松政次
1976 平松政次
1977 渡辺秀武
1978 平松政次
1979 平松政次1980年代
1980 平松政次
1981 斉藤明雄
1982 斉藤明夫
1983 遠藤一彦
1984 遠藤一彦
1985 遠藤一彦
1986 遠藤一彦
1987 遠藤一彦
1988 欠端光則
1989 斉藤明夫1990年代
1990 中山裕章
1991 中山裕章
1992 野村弘樹
1993 有働克也
1994 有働克也
1995 野村弘樹
1996 盛田幸希
1997 盛田幸希
1998 川村丈夫
1999 三浦大輔2000年代
2000 川村丈夫
2001 小宮山悟
2002 三浦大輔
2003 吉見祐治
2004 三浦大輔
2005 三浦大輔
2006 三浦大輔
2007 三浦大輔
2008 寺原隼人
2009 三浦大輔2010年代
2010 S.ランドルフ
2011 山本省吾
2012 高崎健太郎
2013 藤井秀悟
2014 三嶋一輝
2015 久保康友
2016 井納翔一
2017 石田健大
2018 石田健大
2019 今永昇太2020年代
2020 今永昇太
2021 濵口遥大
2022 東克樹表話編歴 野球日本代表 – 2004 アテネオリンピック 3 銅メダル監督
33 中畑清

コーチ
31 高木豊(守備・走塁)
32 大野豊(投手)投手
11 清水直行
13 岩瀬仁紀
15 黒田博樹
16 安藤優也
17 三浦大輔
18 松坂大輔
19 上原浩治
20 岩隈久志
21 和田毅
30 小林雅英
61 石井弘寿捕手
9 城島健司
59 相川亮二内野手
2 小笠原道大
5 中村紀洋
6 宮本慎也
8 金子誠
25 藤本敦士外野手
1 福留孝介
10 谷佳知
23 村松有人
24 高橋由伸
27 木村拓也
55 和田一浩
表話編歴横浜大洋ホエールズ – 1991年ドラフト指名選手指名選手
1位:斎藤隆
2位:永池恭男
3位:有働克也
4位:斉藤肇
5位:石本豊
6位:三浦大輔
7位:山根善伸
8位:川北和典
典拠管理
NDL: 01132930
VIAF: 260941619
WorldCat Identities: viaf-260941619

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41.浅尾拓也 現役ラスト登板 9月29日 Youtube

41.浅尾拓也 引退試合
現役ラスト登板 9月29日

2. 9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? Yomiuri

Yomiuri
9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は?

説明: 9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? に関する詳細情報はすでにありますか? 記事 9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? は、読売で検索されたもので、有益な情報を入手するのに役立ちます。
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3. 9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? Asahi Shimbun

朝日新聞
9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は?

説明: 朝日新聞で検索した 9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? に関する上記の情報が、9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? に関する疑問の解決に役立つことを願っています。
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4. 9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? The Japan Times

The Japan Times
9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は?

説明: ジャパン タイムズで検索した 9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? に関する記事のトップです。9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? に関する疑問を解決するのに役立ちます。 >
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5. 9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? Yomiuri Shimbun

読売新聞
9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は?

説明: 9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? に関する詳細情報はすでにありますか? 9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? という記事が読売新聞で検索されました。お役に立てれば幸いです。
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6. 9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? Mainichi Shimbun

毎日新聞
9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は?

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7. 9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? Sankei Shimbun

産経新聞
9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は?

説明: 産経新聞で検索した 9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? に関する記事のトップです。9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? に関する疑問を解決するのに役立ちます。
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8. 9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? Nihon Keizai Shimbun

日本経済新聞
9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は?

説明: 9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? に関する詳細情報はすでにありますか? 記事 9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? は、日本経済新聞で検索され、有益な情報を入手するのに役立ちます。
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9. 9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? Chunichi Shimbun

中日新聞
9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は?

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10. 9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? Tokyo Shimbun

東京新聞
9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は?

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11. 9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? Nihon Kogyo Simbun

日本工業新聞
9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は?

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12. 9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? Nikkan Kogyo Shimbun

日刊工業新聞
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13. 9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? Ainu Times

アイヌタイムス
9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は?

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14. 9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? Akita Sakigake Shimpo

秋田魁新報
9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は?

説明: 9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? に関する詳細情報はすでにありますか? 9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? という記事は、秋田魁新報で検索したものです。お役に立てれば幸いです。
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15. 9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? Chiba Nippo

千葉日報
9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は?

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16. 9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? Chugoku Shimbun

中国新聞
9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は?

説明: 中国新聞で検索した 9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? に関する記事のトップです。9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? に関する疑問の解決に役立ちます。
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17. 9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? Daily Tohoku

デイリー東北
9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は?

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18. 9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? The Eastern Chronicle

イースタン クロニクル
9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は?

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9月29日、プロ野球レギュラーシーズン最終戦に引退試合として登板したdenaの「番長」は? に関する質問

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