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阪神・藤浪晋太郎に開幕投手の可能性、西勇輝、高橋遥人の離脱で

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この項目は画像改訂依頼に出されており、ヘッダ画像を阪神タイガース監督時とするよう画像改訂が求められています。(2022年4月)矢野 燿大(矢野 輝弘)阪神タイガース 監督 #88
現役時代(2008年)基本情報国籍
日本出身地
大阪府大阪市平野区生年月日
(1968-12-06) 1968年12月6日(53歳)身長体重
181 cm81 kg選手情報投球・打席
右投右打ポジション
捕手プロ入り
1990年 ドラフト2位初出場
1991年8月3日最終出場
2010年5月8日経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴

大阪市立桜宮高等学校
東北福祉大学
中日ドラゴンズ (1991 – 1997)
阪神タイガース (1998 – 2010)
指導歴

日本代表 (2013 – 2015)
阪神タイガース (2016 – )国際大会代表チーム
日本代表五輪
2008年
この表について

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矢野 燿大(やの あきひろ、本名:矢野 輝弘〈読み同じ〉、1968年12月6日 – )は、大阪府大阪市平野区瓜破出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。解説者・評論家、コーチを経て、2019年より阪神タイガースの一軍監督を務めている。
現役時代は中日ドラゴンズ(1991年 – 1997年)と阪神(1998年 – 2010年)に在籍し、2003年・2005年には正捕手として、阪神のセ・リーグ優勝に貢献した。現役引退後、2013年11月からは野球日本代表のバッテリーコーチを務めた。2016年に一軍作戦兼バッテリーコーチとして阪神へ復帰[1]。2018年には阪神二軍(ウエスタン・リーグ)の監督を務めた[2]。

経歴[編集]
プロ入り前[編集]
小学2年時、地元の少年野球チームで軟式野球を始めた。当初は遊撃手だったが、チームの捕手が故障してから捕手を務めた。大阪市立瓜破中学校では当時野球部がなかったため、バスケットボール部に所属していた。
大阪市立桜宮高等学校に進学し、硬式野球部に入部。少年野球時代の活躍を知る当時の監督伊藤義博によって、1年生からレギュラーに抜擢された。伊藤が1年後に東北福祉大学の硬式野球部監督へ転じてからは、投手以外の全ポジションを経験、捕手として1年後輩の土井善和とバッテリーを組みながら、クリーンナップを担うまでに打撃を伸ばした(後述)ほか、3年時には主将も務めた。高校通算で3本塁打を記録したものの、春・夏とも甲子園球場での全国大会出場を果たせなかった。高校時代のコーチに岡田龍生がいる。
高校卒業後、伊藤がいた東北福祉大学へ進学。高校時代と同じく捕手以外のポジションもこなしていた関係で、1989年には三塁手として仙台六大学野球春季リーグ戦のベストナインに選ばれた[3]。さらに、リーグ戦の終了後は、大学日本代表や第18回日米大学野球選手権のメンバーにも入った[4]。4年時の仙台六大学野球リーグ戦では、捕手として春季から2季連続でベストナインに選出。ラストシーズンであった秋季には、最優秀選手と最多打点のタイトルも獲得した[3]。なお、チームは矢野の在学中に仙台六大学のリーグ戦で優勝を続けていて、矢野の4年時には大学選手権で決勝・明治神宮大会で準決勝へ進出した。また、金本知憲は矢野と同じ年齢ながら、1年浪人の後に矢野の下級生として入学。矢野と共にチームの主軸として活躍し、卒業後に阪神で再びチームメイトになっている。
大学卒業後は教職へ就くことも検討していたが、1990年のNPBドラフト会議で、読売ジャイアンツ(巨人)と中日から2位で指名を受けた。抽選の結果、中日が独占交渉権を獲得し、4位で指名された大学の同級生・吉田太と共に入団した。入団当初の背番号は2。この会議では、東北福祉大学から矢野・吉田以外にも、内野手の宮川一彦が横浜大洋ホエールズ、投手の小坂勝仁がヤクルトスワローズからそれぞれ指名され。4人のプロ野球選手が誕生している[5]。

中日時代[編集]
1991年、1年目から一軍公式戦に出場。この年は22試合に出場し、プロ初本塁打も放った。翌1992年は72試合に出場。うち捕手として65試合に出場し、22試合で先発マスクを被った。打撃面でも打率.259と一定の成績を残した。同年10月1日の対阪神タイガース戦(ナゴヤ球場)では1-1の同点の延長10回二死一、二塁の打席で猪俣隆からサヨナラ安打を放った[6]。
1993年からは出番が減り、1993年には24試合、1994年は35試合の出場に留まり、打撃面でも成績を残せなかった。1995年には57試合に出場したものの、同年オフのドラフト会議で1位指名を受けた荒木雅博に背番号2を譲る形で背番号38に変更。
1996年8月11日の対巨人戦では、野口茂樹とバッテリーを組んでノーヒットノーランを達成した。また、捕手として一軍に帯同しながら、打撃力の高さを買われて公式戦に外野手として出場することもあった。また、巨人が逆転優勝を決めたナゴヤ球場での最終戦には、1番・中堅手で出場。中日の選手としては同球場の公式戦で最後となる本塁打を放った。56試合の出場で、打率.346、7本塁打、19打点だった。
1997年は中日では最多の83試合に出場、うち捕手として60試合に出場した[7]。シーズン終盤は主に右翼手として起用され、合計62試合に先発出場した。しかし、シーズンオフに大豊泰昭とともに、関川浩一・久慈照嘉との交換トレードで阪神へ移籍[8]。背番号は39となった。当初このトレードは中村武志放出の予定で進んでおり、もし実現していれば矢野を正捕手で起用する予定だったと当時中日の監督だった星野仙一がのちに振り返っている[9]。

阪神時代[編集]
移籍1年目の1998年は、当時の監督であった吉田義男にリード面を評価され、山田勝彦に代わってすぐに正捕手の座を勝ち取った。5月26日の対中日戦で川尻哲郎をリードして2度目のノーヒットノーランを記録。この試合の対戦投手は中日時代にノーヒットノーランを達成した野口であった[10]。この年、7月7日の対横浜戦(大阪ドーム)で1点を追う9回二死一、二塁の打席でこの日まで無敗で連続セーブ記録を続けていた、当時全盛期(この年のシーズンMVP)の“大魔神”こと佐々木主浩(大学の1年先輩)から、佐々木のその年唯一の敗戦となる逆転サヨナラ安打を記録した[11]。同年はプロ入り初のシーズン100試合出場を果たし、最終的に打率.211と低調だったが110試合に出場した。
1999年、プロ入り9年目にして初めて規定打席に到達し、打率.304(リーグ10位)を記録した。阪神の捕手で規定打席に達した上での打率3割を記録したのは1979年の若菜嘉晴(打率.301)以来20年ぶりのことであった。同年8月13日の対ヤクルト戦(大阪ドーム)では2-2の同点の延長15回二死満塁の打席で高津臣吾からサヨナラ安打を放った[12]。
2000年、打率こそ前年を下回ったが正捕手に定着、こちらも若菜以来20年ぶりに2年連続捕手として規定打席に到達した。
2001年オフ、このシーズン限りで監督を辞任した野村克也の後任として、かつて自らをトレードで放出した星野仙一が阪神監督に就任。この時「また星野監督に捨てられてしまう」と失望したと後に語っている。
2002年、4月13日の対横浜戦(阪神甲子園球場)で9回に本塁上のクロスプレイで左肩を脱臼[13]。7月26日の対中日戦(阪神甲子園球場)では3-3の同点の9回無死一塁の打席で落合英二から左前安打を放ち、これを左翼手の蔵本英智が後逸しサヨナラ勝ちとなった[14]が、8月10日の対中日戦(ナゴヤドーム)で骨折して戦線離脱[15]し、好調だったチームも矢野の離脱と共に失速した。
2003年、日本ハムファイターズの正捕手だった野口寿浩がトレードで入団。自身のポジションが危ぶまれたが、大学時代のチームメイトで広島東洋カープから移籍してきた金本の影響を受け、強い体作りに着手。シーズンを通してほぼマスクを被り、8番の藤本敦士とともに「恐怖の下位打線」と呼ばれた。MVPは4点差で井川慶に譲ったものの、チーム防御率はセントラル・リーグトップの3.53、打撃でも打率.328(リーグ3位)を記録し、初のベストナインとゴールデングラブ賞を獲得。ゴールデングラブ賞は捕手として史上最年長での初受賞であった。同年6月17日の対横浜戦(阪神甲子園球場)では2点を追う9回無死満塁の打席でデニーから逆転サヨナラ3点適時三塁打[16]、9月5日の対横浜戦(阪神甲子園球場)では1点を追う9回一死一塁の打席でエディ・ギャラードから逆転サヨナラ2点本塁打[17]を記録した。
2004年には36歳にして自身初となる全試合出場を達成。しかし、シーズン終盤には捕逸などミスも目立った。また、辻恭彦以来球団史上2人目となる全試合マスクを目指したが、代打出場のみだった試合が1試合あり達成できなかった。同年7月29日の対中日戦(阪神甲子園球場)では7-7の同点の延長12回二死一、二塁の打席で岩瀬仁紀からサヨナラ安打を放った[18]。
2005年には三振を減らすべく宮本慎也を参考にした打撃フォームに改造。6月11日の対日本ハム戦(阪神甲子園球場)で7回一死満塁の打席で矢野諭から満塁本塁打[19]、8月18日の対横浜戦(大阪ドーム)で5-5の同点の延長10回一死一、二塁の打席で木塚敦志からシーズンの対横浜戦勝ち越しを決めるサヨナラ安打を放った[20]。シーズン通算では自己最多の19本塁打を放ち、盗塁阻止率も自己最高記録を残した。自身2度目のベストナインとゴールデングラブ賞、日本シリーズ敢闘賞を獲得。同年、自身2回目となるFA権を取得し、オフに行使のうえ残留[21]。
2006年、5月4日の対巨人戦(阪神甲子園球場)では2-2の同点の延長10回二死二塁の打席で福田聡志からサヨナラ安打[22]、翌5日の対横浜戦(横浜スタジアム)では自身初の1試合3本塁打を含む5打数4安打7打点[23]と活躍。シーズンでは17本塁打を放ち、10月4日の対ヤクルト戦(明治神宮野球場)では2回に石井一久から3点本塁打を放ち、通算100本塁打を達成[24]。チーム2位の78打点も評価され、2年連続3度目のベストナインにも選出された。

北京オリンピックでの矢野(2008年)
2007年は週に1試合ほど野口や狩野恵輔にスタメンマスクを譲ることが多く、4月24日の対ヤクルト戦(阪神甲子園球場)で1-1の同点の9回一死満塁の打席で高津臣吾からサヨナラ安打を放った[25]が、セ・パ交流戦時に右のふくらはぎを痛めたこともあり、一時登録を抹消。打率.236、 6本塁打と打撃不振に終わった。同年オフには北京オリンピックの野球日本代表に招集され[26]、アジア予選で試合の終盤を任される「抑え捕手」として活躍した。
2008年は野口が岩田稔や上園啓史ら若手とバッテリーを組み、矢野は主に安藤優也や下柳剛、福原忍らと組む併用でスタート。スタメン出場しなかった試合では終盤に代打で出場し、その後抑えの藤川球児とバッテリーを組むような起用が多く、2年ぶりに規定打席に到達。夏場には藤川、新井貴浩と共に北京オリンピック代表に招集された。同年9月は、9日の対ヤクルト戦(阪神甲子園球場)では2-2の同点の9回無死無走者の打席で押本健彦からサヨナラ本塁打[27]、13日の対広島戦(阪神甲子園球場)では両者無得点で迎えた延長10回一死一塁の打席で梅津智弘からサヨナラ二塁打[28]の2度のサヨナラ打を放った。
2009年は前年オフに手術した右肘の回復が遅れたため開幕から二軍での調整が続き、7月に一軍昇格した後もスタメン出場は安藤・下柳が先発する試合に限られた。8月16日には41歳の下柳と組んでプロ野球史上初の40代バッテリーでの勝利を達成したが、シーズン終盤に右足首を骨折して再び戦線離脱し30試合の出場に終わった。打撃では100打席未満ながら打率3割、得点圏打率4割超を記録。オフに心機一転の意味を込め、登録名を本名の矢野輝弘から矢野燿大へ変更した[29]。
2010年は城島健司の加入もあり、8試合の出場のみだった。6月に右肘の故障で一軍登録を抹消されていたが回復の目処が立たず、9月2日にこのシーズン限りの現役引退を球団に申し入れ、了承された[30]。9月25日の中日との二軍最終戦では下柳とバッテリーを組み、9回の1イニングを無失点に抑え、試合後の二軍引退セレモニーで阪神と古巣・中日の双方の選手から胴上げされ、「中日での7年間がなければ僕はない。野球人生を幸せに送れた」と感謝を述べた[31][32][33]。9月30日の対横浜戦では、9回二死から出場予定だったが、二死になる前に抑え投手の藤川が村田修一に逆転3点本塁打を打たれたため、矢野の試合出場は幻となった。試合後、藤川を抱き2人で号泣し「これまでお前のおかげでいっぱいええ思いさせてもらったよ」と声を掛けた。引退セレモニーでは「最高の野球人生でした。またいつの日か甲子園で会いましょう!」と述べた[34]。

現役引退後[編集]
2010年11月、スポーツニッポン大阪本社専属野球評論家への就任を発表。2011年1月からは、朝日放送とサンテレビの野球解説者としても活動を始め、2月13日に朝日放送テレビが関西ローカルで放送した阪神対ヤクルトの練習試合中継で、事実上の解説者デビューを果たした。朝日放送では、現役時代の2004年から、オフシーズンに同局のラジオ番組『矢野輝弘のどーんと来い!!』(2010年からは『矢野燿大のどーんと来い!!』)のパーソナリティを担当していた。
朝日放送『おはよう朝日です』『NEWSゆう+』『キャスト』で月曜日のスポーツキャスターを務めるかたわら、同局のゴルフやラグビーなどのスポーツ中継や、サンテレビ『熱血!タイガース党』に不定期で出演。朝日放送の全国高等学校野球選手権大会中継でも、不定期で登場した。
2012年の日本プロ野球公式戦期間中に開催されたロンドンオリンピックでは、競技種目に野球が入っていないにもかかわらず、朝日放送を代表して岩本計介アナウンサーとともに現地取材を敢行。金本が現役引退を発表した同年9月12日には、ABCラジオの『ABCフレッシュアップベースボール』で阪神対ヤクルト中継の解説を担当する一方で、試合前に開かれた金本の引退発表記者会見の取材にも携わった。
2011年3月には、自身初の著書『考える虎』が発売された。発売直前に東日本大震災が発生したことを受けて、同書の印税の全額を、大学時代を過ごした仙台市を含む被災地域への義援金として寄付することを表明した。
2014年11月23日、第4回神戸マラソンで自身初のフルマラソンに挑戦した。熱烈な阪神ファンである坂本直子(元天満屋所属、2004年アテネオリンピック・女子マラソン7位入賞)からマラソン指導を受けた結果、3時間55分37秒で完走を果たした。

日本代表指導者時代[編集]
2013年、常設されていた野球日本代表(侍ジャパン)の新体制化に伴ってトップチームの新監督に就任した小久保裕紀の下でバッテリーコーチに就任。背番号は、自身の好きな数字(8)や矢野の妻の誕生日(8月8日)にちなんだ88[35]。矢野にとってはプロ・アマを通じて初のコーチ就任であった。
コーチとして、同年11月に台湾で開催された国際強化試合「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」、2014年11月に日本で開催された日米野球2014[36]、2015年3月の強化試合「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」[37]、同年11月の第1回WBSCプレミア12[38]に参加した。
プレミア12開催期間中に阪神の一軍コーチ就任を発表したが(後述)、大会期間中は日本代表コーチとしての活動を優先した[39]。

阪神指導者時代[編集]
一軍の作戦兼バッテリーコーチとして[編集]
2015年10月27日、阪神の一軍作戦兼バッテリーコーチに就任。大学および阪神でのチームメイトだった金本の一軍監督就任を受けての本格的な現場復帰で、登録名は阪神での現役後期→野球解説者時代に続いて矢野 燿大、背番号は日本代表コーチと同じ88[1][35]。
2016年は春季キャンプから捕手陣を「横一線」として競い合わせた末に、二軍生活の長かった岡﨑太一に一軍開幕戦のスタメンマスクを初めて任せた。その後は、解説者時代から注目してきた原口文仁や、新人の坂本誠志郎を一軍に抜擢。故障の影響で育成選手契約を結んでいた原口については、4月の支配下再登録を経て、クリーンアップの一角を担う正捕手格の主力選手に育て上げた。
2017年、原口を事実上一塁手へ転向させる一方、2015年の正捕手だった梅野隆太郎に、開幕から多くの試合でスタメンマスクを任せた。4月4日の対ヤクルト戦(京セラドーム大阪)では、5回表に阪神の先発投手藤浪晋太郎からヤクルトの畠山和洋への死球をきっかけに生じた乱闘で、藤浪を守る目的でグラウンド上に出たところ、畠山への死球に激昂したウラディミール・バレンティンに突き倒され、跳び蹴りで応戦[40][41]。バレンティンとともに審判団から退場を宣告された。矢野にとってはコーチ就任後初の退場処分で、翌5日にNPBから厳重注意と制裁金15万円を科された。シーズン終了後、2016年から二軍の指揮を執っていた掛布雅之が「オーナー付シニア・エグゼクティブ・アドバイザー」という特別職に転じたことに伴い、二軍監督へ異動。

二軍監督として[編集]
2018年のウエスタン・リーグ公式戦では、「超積極的」「諦めない」「誰かを喜ばせる」という方針の下で、若手選手に積極的な走塁の意識を植え付けた。チームが勝利した試合では、勝利へ貢献した選手にヒーローインタビューやファンに対するスピーチを必ず体験させた。その結果、前年のシーズンをリーグ最下位で終えたチームを8年ぶりのリーグ優勝に導き[42]、ファーム日本選手権も12年ぶりに制した[43]。ウエスタン・リーグでの最終成績は、115試合で68勝40敗7分。通算勝率は.630で、リーグ内のチーム最多記録であるシーズン163盗塁[43]と、チーム歴代最多記録のシーズン68勝を達成した[44]。

一軍監督として[編集]
2018年シーズン、チームがリーグ最下位となったことで、一軍監督の金本が辞任を表明した。これを受け、球団は急遽矢野に一軍監督就任を要請[45]、矢野はこれを受諾し[46]、同月18日、翌2019年より一軍監督を務めることが正式に発表された。
就任に際しては、金本監督時代の方針を継承しながら、二軍監督時代に続いて「超積極的」「諦めない」「誰かを喜ばせる」という姿勢を選手に浸透させることを表明[47]。一軍監督として初めて臨んだ10月25日のNPBドラフト会議では、藤原恭大・辰己涼介の交渉権を逃しながらも[48]、二軍監督時代に大阪ガスとの練習試合で対戦した近本光司の指名に漕ぎ着けた。

2019年[編集]
詳細は「2019年の阪神タイガース」を参照
「ブチ破れ!オレがやる」というチームスローガンを提唱。野球解説者時代に契約を結んでいたスポーツニッポン大阪本社発行分紙面での恒例企画(阪神の一軍監督が年始に自筆の書を披露する企画)でも、このスローガンを毛筆でしたためた。さらに、二軍監督時代からの方針に加えて、一軍監督としての「5か条」(チームの勝利、勝利プラス1、喜怒哀楽、裏方への感謝、球団とも一体となったチーム作り)を提示。就任後初めて迎えた春季キャンプでは、自分で考える力を選手に植え付けるべく、自主性を重視しながら相応の結果を求める方針を打ち出した[49]。レギュラーシーズン中には、試合に敗れてもナイン一同でグラウンドに出て観客に一礼したり、感情を抑えながらインタビューに応じたりするなど、ファンに対する真摯な姿勢を貫徹[50]。一方、味方の選手が活躍した際に満面の笑みでガッツポーズを見せる姿が、「矢野ガッツ」と呼ばれるようになった[51]。
レギュラーシーズンでは69勝68敗6分(勝率.504)で3位となり、吉田義男の監督第2期初年に当たる1985年(リーグ優勝)以来34年ぶりに、阪神の一軍監督が就任1年目でチームをAクラスに導いた事例となった。また新人監督が5割以上の最終勝率でAクラスを実現させた事例は1982年(リーグ3位)の安藤統男以来37年ぶりであった[52]が、前年のレギュラーシーズン最下位からAクラス入りに至った事例は、球団史上初めてであった。
クライマックスシリーズ (CS) では、横浜DeNAベイスターズとのファーストステージを2勝1敗で突破。第1戦(10月5日)では、CS史上初めて、最大6点差から逆転勝利を収めた。しかしファイナルステージでは、レギュラーシーズンで大きく負け越した巨人から1勝を挙げるにとどまり、日本シリーズ進出を逃した。

2020年[編集]
詳細は「2020年の阪神タイガース」を参照
「楽しむからこそ実力が発揮できる」「笑うことには大きなパワーがある」というニュアンスで、チームスローガンを「It’s 勝 Time! オレがヤル」(ロゴでは「勝」を「笑」と重ね合わせた特殊な文字で表記)に改めた[53]。
この年は、新型コロナウイルス感染症がチーム内でも拡大しており、球団では感染防止策の一環として、チーム関係者によるシーズン中の外食の機会・参加人数を制限する内規を定めていた。しかし9月上旬、矢野が夏場の遠征中に内規を超える大人数での会食に臨んでいたことが報道された。これを受けて、球団では残りシーズンにおける(選手・スタッフを含めた)遠征先の外食を一切禁止したが、矢野の会食については、場所が(当時、感染者数が全国でも少ないほうであった)広島県内であり、球団本部の責任者が「監督のチームマネジメントやチーム力の強化に資する」という理由で会食を事前に許可していた[54]ことから不問とされた。
レギュラーシーズン中の10月26日に開催されたNPBドラフト会議では、大学球界屈指のスラッガーであった近畿大学の佐藤輝明を、3球団と指名重複の末に抽選で自ら引き当てた。

2021年[編集]
詳細は「2021年の阪神タイガース」を参照
コーチ陣の一部を入れ替え。「一軍監督としての過去2年間の成績(最高はセ・リーグ2位)を『超』えて『頂』(優勝)に『挑』む」というニュアンスで、「挑・超・頂-挑む 超える 頂(いただき)へ-」というチームスローガンを設定。春季キャンプでは、守備力の強化を図るべく、自身と同じチームへの所属や阪神への在籍経験がない川相昌弘を臨時コーチに招聘した。
レギュラーシーズンではリーグトップの77勝を挙げたほか、貯金も前年から3倍増の21にまで達したが、順位はリーグ優勝したヤクルトに続く2位にとどまった。もっとも、ヤクルトとの最終勝率の差は5厘(ゲーム差は0)で、セ・リーグではシーズンを通じて他の5球団に負け越さなかった。2リーグ分立後(1950年以降)の阪神の一軍監督で、チームを就任1年目から3年連続のAクラス入りに導いた人物は矢野が初めてである[55]。しかし、クライマックスシリーズでは、ファーストステージでシーズン3位の巨人を相手に2連敗を喫し、日本シリーズ進出を逃した。
一軍監督としてはこの年が3年契約の最終年であったが、9月、NPB球団では最も早く球団トップ(オーナー兼球団社長の藤原崇起)から続投を要請された。11月9日、一軍監督契約を改めて締結した。元阪急ブレーブス→オリックスの藤井康雄を秋季練習から一・二軍巡回打撃コーチへ招聘[56]。さらに、「捕手としての出番が減っているので、他のポジションに回ってでも出場機会を増やしたい」という原口の要望を受け、一塁手や外野手に専念させることを秋季練習から容認した。

2022年[編集]
詳細は「2022年の阪神タイガース」を参照
「1球、一打、一瞬にこだわる」「チームが1つになる(ONE TEAM)」「一番上(リーグ優勝)に向けて前年よりもう1勝増やす」というニュアンスを掛け合わせたチームスローガンとして、「イチにカケル!」を新たに設定[57]。春季キャンプインの前日(1月31日)に、この年限りで監督職を退任する意向を選手と報道陣に相次いで明かした[58][59]。本人によれば、退任を決断したのは2021年シーズンの終了後で、同年9月に続投の要請(前述)を受けてから熟考を重ねた結果であった[60]。

選手としての特徴[編集]
阪神タイガースを2度のリーグ優勝に導いた強打の名捕手[61]。勝負強い打撃と卓越したリード、通算守備率.996を記録した堅守が武器であり、攻守にわたり活躍した[62][63]。一方で、打てそうで打てなかった(苦手にしていた)投手に、小笠原孝(古巣の中日で活躍した左投手)を挙げていた。
山本昌からは、技術的にはストレートで追い込んで最後に変化球というタイプの捕手であったと評されている[64]。
プロ入りを検討していた当時は、レギュラー捕手が高齢で捕手の層も薄かった阪神や巨人への入団を希望していた。それだけに、2歳年上の中村武志がレギュラー捕手として全盛期を迎えていた中日からドラフト会議で指名されたことに不安を感じていた[65]。後に中日時代の思い出を振り返り「(中村の)存在が大き過ぎて、勝てるとは思えなかった」と、ラジオ番組『スポーツにぴたっと。』で語っている。その中で、2010年に自身が引退する際に、当時中日のコーチに就任していた中村から労われたことに対し「中日時代はどうしても超えられなかった人なので嬉しい」と語り、「幸せな野球人生を送れた」と20年の現役生活を振り返った[31]。
ドラフト会議では、司会者だった伊東一雄から名前を「てるひろ」と読み間違えられ、当時中日の監督であった星野仙一から「テル」と呼ばれるようになった。中日では星野から打撃力を評価されていたが、入団4年目(1994年)まで一軍で目立った実績を残せなかった。しかし、東北福祉大から一緒に入団した吉田が、その年のシーズン終了後に戦力外通告を受けてひっそりと退団したことから一念発起。「自分が辞める時に後悔だけはしたくない」という危機感を抱きながら、正捕手の中村のリードを本格的に研究するなど、自ら率先して練習に励むようになった。さらに、外野手として公式戦に出場する機会を重ねるうちに、捕手というポジションへの思いを強めた。「ボールがいつ飛んでくるか分からない外野手では、一球ごとにサインを考えたり投手にボールを返したりする捕手に比べて、どこか試合に参加してないような気持ちになった」という[65]。解説者に転じてからは、このような下積みの経験を基に、(捕手を含めた)若手野手のプレーや野球へ取り組む姿勢に苦言を呈することが多かった。
中日から阪神へのトレードが決まった際、当時中日の監督であった星野からは何も言葉を掛けてもらえず「絶対に星野さんを見返す。中日戦だけには絶対、負けへん」と中日相手には多く死球を要求していた。なお、星野の阪神監督就任後は、気まずい素振りも見せずに星野がよく話しかけてきてくれたため、次第に「星野さんに認められたい。認められるために頑張る」と気持ちが変わっていった[66]。
阪神の選手時代には、「優しい」と形容する解説者が多い一方で、「阪神で一番短気」と言われることもあった。現に、退場寸前の乱闘を年に1度のペースで起こしたほか、幼児が駄々をこねるような仕草で審判の判定に不服を示すことも珍しくなかった。前述した2017年の退場処分以外にも、阪神捕手時代の1998年と2006年に、審判への暴力行為で退場処分を受けている。

人物[編集]
この選手の人物像に関する文献や情報源が必要です。出典を明記するためにご協力をお願いします。(2015年2月)愛称は「テル」、「アキちゃん」など。
読書家で、愛読書は『夢をかなえるゾウ』(水野敬也)や『アドラー心理学』など。阪神での現役時代に星野の前任監督・野村克也から読書を勧められたことをきっかけに、読書の重要性を認識したことから、若手選手にも自主的に考えながら本を読むことを勧めている。阪神二軍監督へ就任してからのキャンプでは、宿泊先のホテルで朝食を取ってから球場へ出発するまでの1時間を読書に充当。「活字を追い掛けながら頭に入れたことは、他人に話すことで覚えられる」という考え[67]から、読んだ本の内容を、チームミーティングや選手へのアドバイスに反映させることも多い。
大のスイーツ好きで、阪神の現役時代後期には、プロ野球シーズン中に甲子園球場内の売店だけで販売されるスイーツのプロデュースも手掛けた(後述)。
現役を引退してからは、野球解説者・評論家として活動するかたわら、現役時代からの趣味であるゴルフ関連の番組にもたびたび出演。朝日放送が毎年11月に主催するマイナビABCチャンピオンシップゴルフトーナメントでは、ABCテレビの中継でラウンドリポーターを務めたり、アマチュアのゴルファーとして「マンデートーナメント」に参加したりしていた(#関連情報に詳述)。しかし、他のゴルフトーナメントへの出場に向けた練習中に左肘を痛めたことから、2014年5月20日に患部を手術。手術の直後には、左腕を大きなギプスで固定しながら、同局のレギュラー番組への出演を続けていた[68]。
現役時代には験を担がなかったが、阪神一軍監督に就任してからは、「未来に起こりそうな慶事をあらかじめ祝ってしまうことで現実を引き寄せる」という「予祝」(よしゅく)を実践しており、毎年初頭から、チームがリーグ優勝や日本シリーズ制覇をすでに達成したかのようなコメントを、報道陣の前で意識的に繰り返している[69]。就任2年目の2020年には、「日本シリーズの制覇を記念してチーム全体でハワイ旅行」という予祝を体現すべく、選手会長の糸原健斗など選手有志からの発案による「矢野ハワイ」(現地の挨拶であるアロハにちなんだポーズ)をオープン戦で披露していた[70]。しかし、後に新型コロナウイルス感染拡大の影響で、予祝どころではない事態に次々と見舞われ、また「矢野ハワイ」実現への絶対条件である日本シリーズへの出場も2年続けて巨人に阻まれた。2021年にもリーグ制覇を僅差で逃したものの、シーズン限りでの監督退任を表明したうえで臨んだ2022年沖縄春季キャンプの終盤(2月23日)には、当日「1日キャプテン」を任されていた糸井嘉男・西勇輝の発案による「サプライズ予祝」で、選手から3回にわたって胴上げされた。NPBの春季キャンプ期間中に監督が選手から胴上げされるのは初のケースであった[71]。
2019年のレギュラーシーズン最終盤には、試合がある日に起床してから球場でユニフォームに着替えるまで赤色のパンツを履くように心掛けていた。この時期、チームは6連勝でレギュラーシーズンを終え、前述した最終戦でシーズン3位を確定していた[72]。その後も、クライマックスステージやドラフト会議など、監督として大事な局面へ臨むたびに赤色のパンツを着用していた[73][74]。このエピソードにちなんで、阪神球団では2020年6月から、矢野の監修による「矢野監督勝負パンツ」(矢野のイラストと阪神球団のロゴを入れた赤色のボクサーブリーフ)を公式グッズとして発売している[75]。もっとも、佐藤輝明への独占交渉権を4球団の指名重複による抽選で引き当てた同年のドラフト会議には、赤色のパンツを履くなどの験を担かずに「自然体」で臨んでいた[76]。
2020年1月13日(月曜日・成人の日)、兵庫県西宮市の成人式式典「二十歳を祝うつどい」が甲子園球場で初めて開催された際には、同球場スコアボード内の「オーロラビジョン」から式典中に流されるメッセージビデオに阪神のユニフォーム姿で出演。阪神の一軍監督として、新成人に「チャレンジ」を勧めるメッセージを寄せた[77]。この式典には、監督在任中の2021年・2022年にもビデオを通じてメッセージを寄せている。

選手・著名人との交流[編集]
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “矢野燿大” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年2月)桜宮高校の野球部では、後にお笑い芸人となる河本栄得と高山知浩が同級生として在籍しており、高山が3番、矢野が4番を打っていた。高山の前に走者が出ると勝負強い矢野に打席が回るよう、ほぼ毎回高山にバントのサインが出されたと高山が語っている。阪神に在籍していた2005年のシーズンオフには、リーグ優勝記念旅行の模様を放送する特別番組で、高山と2人で漫才に挑んだ。高山からは「アキちゃん」と呼ばれている。
阪神での現役時代には、当時の主力投手陣(藤川、福原、安藤、下柳など)からは絶大な信頼を受けていた。ニューヨーク・ヤンキースへ移籍した井川からも「ヤンキースに来て下さい」と言われたことがある。巨人時代の上原浩治からも、オールスターでバッテリーを組んだ際にブログで「阪神で矢野さんがみんなに好かれる訳がわかった。すごく話しやすいいい人」と評され、2007年12月のアジア予選対韓国戦でバッテリーを組み9回裏を三者凡退で抑え勝利した際は、ウイニングボールを上原から直接手渡され、自らのブログで「一生の宝物」と書いた。
阪神時代のチームメイトである関本賢太郎とも仲が良く、矢野の現役時代には、「必死のパッチ」(「必死で頑張った」という意味の大阪弁)という発言をめぐる丁々発止のやり取りが人気を博した。矢野は、「自分がヒーローインタビューで最初に発した『必死のパッチ』を、翌日のヒーローインタビューで関本が勝手に真似たせいで、いつの間にか球団公認で関本の『必死のパッチ』グッズまで作られた」と主張。ヒーローインタビューや出演番組では、関本に向けて冗談交じりで「『必死のパッチ』を返せ」と迫る一幕もあった。実際には、関本が「必死のパッチ」を使用することを容認しており、矢野が現役を退いた後は、現役後期の関本にとどまらず、自身より後で阪神に入団した西岡剛・藤浪・原口もヒーローインタビューで使用している。その一方、関本が試合後のヒーローインタビューにて西岡に対して「“必死のパッチ”は矢野さんに借りている」と発言した翌日、『おはよう朝日です』で「貸した覚えはない」と応酬した。また、『キャスト』のスポーツキャスターを務めていた時期には、自身が担当するコーナー「ヤノスポ」で「必死のパッチ賞」を創設。公式ブログで阪神のコーチ就任を報告する際にも、「必死のパッチで頑張って来ます!」という言葉で記事を結んでいる[78]。
また、阪神での現役時代には、オフシーズンを中心に関本や福原忍と趣味の釣りに興じていた。日本を代表するバスプロの今江克隆とも親しく、今江が経営している会社IMAKATSUの工場へ足を運んでルアーを作るほどである。なお、そのルアーは、同社ウェブサイト内のブログなどでたびたび紹介。解説者時代には、スポーツキャスターやラジオパーソナリティとして、野球・釣り以外のスポーツも積極的に取材していた。
阪神の一軍監督就任を機にヘッドコーチとして東北楽天ゴールデンイーグルスから招聘した清水雅治とは、2人とも現役の選手として星野監督時代の中日に在籍した時期、同じマンションに居住していた関係である。ナゴヤ球場やナゴヤドームで中日のホームゲームを開催する日に、矢野が4歳年上の清水を自家用車に同乗させ、自身の運転によって一緒に球場へ入るほどの間柄でもあった。清水は、2002年に西武ライオンズで現役を引退した後、西武・日本ハム・千葉ロッテマリーンズ・楽天や野球日本代表で16シーズンにわたってコーチを歴任し、2018年シーズン終了後も楽天から残留の要請を受けていたが、その最中に阪神の一軍監督へ就任した矢野から直々に一軍ヘッドコーチ就任を要請され、現役時代にプレー経験がない阪神への移籍を決めた[79]。2019年のシーズン終了後には、中日時代のチームメイトだった井上一樹も一軍打撃コーチに招聘。2021年シーズンには、井上が一軍のヘッドコーチ、清水が二軍の野手総合コーチに異動した。清水はレギュラーシーズンの終了後に退団したものの、シーズン中に開催された2020東京オリンピックの野球競技に日本代表チームのコーチとして携わったほか、退団後も代表チームのコーチを続けている。
2020年11月10日の阪神対巨人戦(甲子園)終了後に催された藤川の現役引退セレモニーでは、公の場としては自身の引退以来10年ぶりに藤川とのバッテリーが実現した。前述した事情で矢野の引退試合が幻に終わったことを背景に、藤川本人が「監督と選手」の立場を越えて1球だけの「ラストピッチング」を提案したことによるもので、矢野は捕手役で藤川の投球を受けた[80]。2010年のシーズン終了後にも、関西テレビで放送された年末特別番組の企画で藤川を相手に「ラストキャッチング」に臨んだ[81]。
矢野のファンであることを公言している声優の水樹奈々が2006年1月21日に行った日本武道館ライブ(NANA MIZUKI LIVEDOM-BIRTH- AT BUDOKAN)でビデオメッセージとサインボールを送り、2009年に水樹がナビゲーターとして出演していたGAORAの『ぷちトラ!』にて、お礼としてそのライブのDVDをプレゼントされた。また、矢野の地元・関西では、ラジオパーソナリティの桜井一枝も矢野公認のファンとして知られている。

プロデュース・社会貢献活動[編集]
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “矢野燿大” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年2月)2006年から2008年シーズンには、本人プロデュースのオリジナルスイーツ「Yano Chou(矢野シュー)」を甲子園球場の内野席売店で販売。夏季には、シューの中身をアイスに変えていた。2008年9月から現役最終年の2010年シーズンまでは、プロデュースメニューの第2弾「矢野輝弘(燿大)のヘルシーミックスジュース」と、繰り返し使える専用のタンブラーを同様の方法で販売。2006年8月末には、公式サイト限定でオリジナルTシャツを発売した。解説者時代にも、2014年に「矢野燿大のタイガースワッフルボウル」、2015年に「矢野の中華風牛肉弁当」を期間限定で発売している。
2003年からは、筋ジストロフィーを患うファンとも交流。現役最終年の2010年には、筋ジストロフィー患者や児童養護施設で暮らす子供たちへの支援を目的に、社会福祉法人・大阪府社会福祉協議会からの協力で「39(サンキュウ)矢野基金」を設立した。
2011年3月には、あきんどスシローの「応援部長」に就任。同月9日から31日までは、売上の一部を「39矢野基金」への寄付に充てることを目的に、自身のプロデュースによる2種類の寿司メニュー「必死のパッチまき」を近畿2府4県および徳島県の店舗(全103店)で発売していた[82]。同様の趣旨で、同年5月には「39矢野ネクタイ」、2012年3月には「Tシャツ」を公式サイトで販売している。
2015年には、「プロ野球の世界で、20年にわたり一線で活躍してきた矢野燿大だからこそできる恩返し」と称して、矢野が関西各地の少年野球チームを直々に指導する「39ベースボールプロジェクト」を4月から実施。軟式・硬式を問わず、指導を希望するチームを自身の公式サイトで募り、抽選で決まったチームを月に2回のペースで訪れていた。2016年からは、前年に現役を引退した関本が同プロジェクトを引き継いでいる。
2020年、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、日本高等学校野球連盟(高野連)主催の全国大会(第92回選抜高等学校野球大会・第102回全国高等学校野球選手権大会および第65回全国軟式高等学校野球選手権大会)、男子の硬式選手権大会への出場校を決める地方大会、全国高等学校女子硬式野球連盟主催の第21回全国高等学校女子硬式野球選抜大会・第24回全国高等学校女子硬式野球選手権大会・第11回全日本女子硬式野球ユース選手権大会、全日本女子軟式野球連盟主催の第18回全国高等学校女子軟式野球選手権大会が軒並み中止に追い込まれた際には、阪神の一軍監督として、これらの連盟に加盟する学校の硬式・軟式野球部の3年生男女部員とマネジャー全員(約5万名)に「甲子園の土キーホルダー」を贈呈することをコーチ・選手とともに提案した。球場を運営する阪神甲子園球場と阪神園芸の協力を得て、キーホルダーに用いる土を6月16日に甲子園球場のグラウンドで直々に採取する[83]など、プレゼントの実現に尽力し[84]、約4万8700個のキーホルダーが全加盟校へ贈呈された[85]。高野連から阪神球団に感謝状が贈呈され、11月27日に球団を代表して矢野と梅野が受け取った[86]。

詳細情報[編集]
年度別打撃成績[編集]
年度
球団
試合
打席
打数
得点
安打
二塁打
三塁打
本塁打
塁打
打点
盗塁
盗塁死
犠打
犠飛
四球
敬遠
死球
三振
併殺打
打率
出塁率
長打率
OPS
1991

中日

22
30
27
2
3
0
0
1
6
4
0
0
1
0
2
0
0
15
0
.111
.172
.222
.395
1992

72
118
108
10
28
6
0
0
34
8
0
1
0
1
8
0
1
20
3
.259
.314
.315
.628
1993

24
39
31
5
10
0
0
1
13
3
0
0
1
0
6
2
1
4
1
.323
.447
.419
.867
1994

35
53
46
5
10
2
0
1
15
2
0
1
3
0
3
1
1
9
2
.217
.280
.326
.606
1995

57
123
115
14
28
2
2
1
37
5
1
0
0
0
7
1
1
31
5
.243
.293
.322
.614
1996

56
124
104
26
36
3
0
7
60
19
1
0
2
2
13
0
3
16
2
.346
.426
.577
1.003
1997

83
244
214
24
54
8
0
3
71
19
1
0
5
0
22
1
3
32
3
.252
.331
.332
.662
1998

阪神

110
340
285
27
60
18
0
3
87
20
1
2
24
0
27
3
4
63
9
.211
.288
.305
.593
1999

113
418
369
39
112
13
2
3
138
27
5
2
6
2
36
2
5
74
14
.304
.371
.374
.745
2000

114
428
376
41
101
12
1
5
130
26
1
2
9
4
35
4
4
87
9
.269
.334
.346
.680
2001

119
364
327
26
79
10
1
8
115
30
1
1
5
3
28
0
1
72
10
.242
.301
.352
.653
2002

66
253
221
31
71
18
2
6
111
27
1
1
5
0
24
4
3
51
6
.321
.395
.502
.897
2003

126
484
433
65
142
25
5
14
219
79
1
0
4
1
38
6
8
84
8
.328
.392
.506
.897
2004

138
551
502
38
143
23
3
11
205
65
1
3
4
3
35
7
7
110
19
.285
.338
.408
.747
2005

138
550
499
53
135
26
0
19
218
71
1
1
9
2
32
1
8
113
12
.271
.323
.437
.760
2006

133
501
453
42
124
20
3
17
201
78
0
0
8
5
32
1
3
94
12
.274
.323
.444
.766
2007

106
401
356
25
84
14
1
6
118
42
0
0
7
1
34
0
3
92
9
.236
.307
.331
.639
2008

119
404
371
20
102
17
1
4
133
36
0
1
10
5
16
1
2
100
13
.275
.305
.358
.663
2009

30
83
75
9
23
1
1
2
32
8
1
0
0
0
8
1
0
17
1
.307
.373
.427
.800
2010

8
9
9
1
2
0
0
0
2
1
0
0
0
0
0
0
0
5
0
.222
.222
.222
.444
通算:20年

1669
5517
4921
503
1347
218
22
112
1945
570
16
15
103
29
406
35
58
1089
138
.274
.335
.395
.730
年度別守備成績[編集]
年度
球団
捕手
外野
試合
刺殺
補殺
失策
併殺
捕逸
守備率
企図数
許盗塁
盗塁刺
阻止率
試合
刺殺
補殺
失策
併殺
守備率
1991

中日

14
34
3
0
0
2
1.000
3
0
3
1.000

1992

65
210
16
2
2
2
.991
22
18
4
.182

1993

21
56
7
0
1
3
1.000
8
5
3
.375
1
0
0
0
0
—-
1994

26
76
7
0
1
1
1.000
8
5
3
.375

1995

41
191
21
1
3
0
.995
16
10
6
.375

1996

38
157
13
1
0
3
.994
13
9
4
.308
12
14
1
1
0
.938
1997

60
307
28
2
3
4
.994
41
34
7
.171
22
34
0
0
0
1.000
1998

阪神

109
521
49
2
8
7
.997
80
54
26
.325

1999

111
693
52
5
8
6
.993
79
53
26
.329

2000

113
752
62
6
9
6
.993
69
45
24
.348

2001

108
556
72
3
14
2
.995
81
49
32
.395
4
4
0
0
0
1.000
2002

66
528
30
1
7
4
.998
31
19
12
.387

2003

123
932
66
2
11
14
.998
100
65
35
.350

2004

137
1126
56
3
16
5
.997
87
57
30
.345

2005

138
1130
76
3
11
8
.998
76
43
33
.434

2006

132
1001
75
6
7
5
.994
67
39
28
.418

2007

101
720
56
3
8
3
.996
67
47
20
.299

2008

116
748
63
2
7
4
.998
71
45
26
.366

2009

26
144
14
2
1
0
.988
18
13
5
.278

2010

1
0
0
0
0
0
.—
0
0
0
.—

通算

1546
9882
766
44
117
79
.996
937
610
327
.349
39
52
1
1
0
.981
太字年はゴールデングラブ賞年度別監督成績[編集]
レギュラーシーズン年度
球団
順位
試合
勝利
敗戦
引分
勝率
ゲ|ム差
本塁打
打率
防御率
年齡
2019

阪神

3位
143
69
68
6
.504
6.0
94
.251
3.46
51歳
2020

2位
120
60
53
7
.531
7.5
110
.246
3.35
52歳
2021

2位
143
77
56
10
.579
0.0
121
.247
3.30
53歳
通算:3年

406
206
177
23
.538
Aクラス3回
2021年度シーズン終了時表彰[編集]
ベストナイン:3回(2003年、2005年、2006年)
ゴールデングラブ賞:2回(2003年、2005年)
日本シリーズ敢闘選手賞:1回(2005年)
最優秀バッテリー賞:2回(2003年 投手:井川慶、2005年 投手:藤川球児)
優秀JCB・MEP賞:1回(2003年)
ヤナセ・阪神タイガースMVP賞:1回(2003年)[87]
サンスポMVP大賞:1回(2003年)[88]
ベスト・ファーザー in 関西(2007年)
ゴールデンスピリット賞:1回(2021年)記録[編集]
初記録初出場:1991年8月3日、対阪神タイガース19回戦(ナゴヤ球場)、7回表に中村武志に代わり捕手として出場
初打席・初三振:同上、7回裏に中田良弘から
初安打・初本塁打・初打点:1991年8月26日、対阪神タイガース23回戦(阪神甲子園球場)、9回表に山本昌広の代打で出場、野田浩司から左越2ラン
初先発出場:1991年9月18日、対阪神タイガース24回戦(阪神甲子園球場)、8番・捕手として先発出場節目の記録1000試合出場:2004年4月4日、対読売ジャイアンツ3回戦(東京ドーム)、8番・捕手で先発出場 ※史上390人目[89]
1000本安打:2005年9月15日、対読売ジャイアンツ20回戦(東京ドーム)、7回表に酒井純也から右越ソロ ※史上238人目
100本塁打:2006年10月4日、対東京ヤクルトスワローズ21回戦(明治神宮野球場)、2回表に石井一久から左越3ラン ※史上247人目[24]
1500試合出場:2007年9月16日、対中日ドラゴンズ22回戦(阪神甲子園球場)、7番・捕手として先発出場 ※史上155人目
1000三振:2008年5月23日、対福岡ソフトバンクホークス1回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、2回表に大隣憲司から ※史上41人目その他の記録オールスターゲーム出場:7回(1999年、2002年 – 2006年、2008年)
通算サヨナラ安打10本 ※阪神タイガース球団タイ記録[90]背番号[編集]
2(1991年 – 1995年)
38(1996年 – 1997年)
39(1998年 – 2010年)
39(2008年北京オリンピック)
88(2016年 – )
88(2014日米野球、2015プレミア12)登録名[編集]
矢野 輝弘(やの あきひろ、1991年 – 2009年)
矢野 燿大(やの あきひろ、2010年、2016年 – )登場曲[編集]
「マイ・シャローナ」ザ・ナック(2000年)[91]
「Do You Believe In Love」ヒューイ・ルイス(2003年)
「Ain’t No Mountain High Enough」マイケル・マクドナルド(2004年)
「Party Hard」アンドリューW.K.(2005年)
「サルビアのつぼみ」HOME MADE 家族(2006年)
「マイペース」SunSet Swish(2007年)
「ボーイズ・オン・ザ・ラン」馬場俊英(2008年)
「カーニバル」ケツメイシ(2009年)代表歴[編集]
2008年北京オリンピックの野球競技・日本代表指導歴[編集]
日米野球2014
2015 WBSCプレミア12 日本代表関連情報[編集]
解説者時代の出演番組[編集]
2011年から2015年まで、朝日放送の解説者として、テレビ・ラジオで放送されるプロ野球中継(主に阪神戦)に登場。同局からの出向扱いで、『サンテレビボックス席』の阪神戦中継にも解説者として出演している。さらに中日OBでもあることから、CBCラジオの中日対阪神戦中継(ABCラジオと相互ネットの場合)に出演することがあった。

レギュラー番組[編集]
虎バン(朝日放送テレビ) – 阪神での現役時代から、インタビューやドキュメンタリー企画などにたびたび登場。2011年以降は、レギュラーコメンテーターとして出演。
おはよう朝日です月曜日(朝日放送テレビ) – 2011年3月7日放送分から、スポーツキャスターとしてレギュラー出演。
キャスト(朝日放送テレビ) – 『NEWSゆう+』の後番組で、2011年10月の放送開始から2015年3月まで、月曜日に編成されていた「ヤノスポ」でキャスターを担当。番組リニューアルで同コーナーが終了した2015年4月以降は、阪神時代のチームメイトだった下柳や桧山進次郎と交互に、水曜日の「週刊 浦川スポーツ」へ出演している。
スポーツにぴたっと。(ABCラジオ、オフシーズン番組)- 現役引退後初のレギュラー番組で、2010年度の途中(2011年1月5日放送分)から水曜日に出演(2011年度も続投)。2012年1月6日からは金曜日にも登場していた。2012年度は金曜日、『武田和歌子のぴたっと。』第2部として放送される2013年度以降は火曜日にのみ出演。
金谷多一郎・矢野燿大の考えるゴルフ(Sky・A sports+、2011年 – )
虎魂(sky・A sports+、2011年10月から月1回のペースで放送)
NEWSゆう+月曜日(朝日放送テレビ) – 2011年3月28日放送分から番組終了の同年9月まで、スポーツコーナー「週刊YANO+」にレギュラー出演。
見知らぬ関西新発見!みしらん(朝日放送テレビ) – 2013年1月5日放送分からスポーツコーナー「スポーツみしらん」が新設されたことを機に、スポーツキャスターとして同年9月21日の最終回まで出演。不定期放送・出演[編集]
矢野輝弘のどーんと来い!!(ABCラジオ、2004年度から、オフシーズンのレギュラー番組→スペシャル番組) – 阪神での現役時代からメインパーソナリティを担当。2009年度以降は『矢野燿大のどーんと来い!!』というタイトルで放送。指導者として阪神へ復帰してからも、年末年始の特別番組として継続している。
矢野燿大の「アスリートの舞台裏」(ABCラジオ) – 2011年5月16日から月1回のペースで放送。メインパーソナリティを担当。
熱血!タイガース党(サンテレビ)- 阪神での現役時代にゲストやVTRで出演。ABC野球解説者時代には、「優勝対策委員長」という肩書で随時登場していた。指導者として阪神へ復帰してからも、ゲストとしてスタジオへ出演する際にはこの肩書を用いている。
CBCドラゴンズナイター(CBCラジオ) – 中日主管の阪神戦(ABCラジオが同時ネットで放送する火曜 – 木曜の試合)中継にのみ、ゲスト解説者として出演。
全国高校野球選手権大会中継(朝日放送テレビ)- 2011年から、試合前後に甲子園スタジオから放送される中継に、ゲストとして随時出演。ただし、試合の解説まで担当するわけではない。
マイナビABCチャンピオンシップゴルフトーナメント(朝日放送テレビ制作、テレビ朝日系列で放送) – 2011年以降のテレビ中継で、金谷とともにラウンドリポートを担当。2013年には、アマチュアのゴルフプレイヤーとして、本選への出場を目指して「マンデートーナメント(主催者推薦の予選会)」に初めて挑戦した(結果は6オーバーの59位で本選出場ならず)[92]。以下はゲストで出演した主な番組。

報道ステーション SUNDAY(テレビ朝日) – 2011年11月13日放送分
GET SPORTS(テレビ朝日) – 2011年11月13日深夜(14日未明)放送分
ABC創立60周年記念特別番組 スポーツのキセキは、いつまでも(朝日放送テレビ、2011年12月30日)
ジャパンラグビートップリーグ・神戸製鋼コベルコスティーラーズ対ヤマハ発動機ジュビロ戦中継(朝日放送テレビ)- 2012年1月29日深夜に録画で放送
ガラスの地球を救えスペシャル いま見直そう!ニッポンの心 関西のチカラ(朝日放送テレビ、2012年4月30日)生放送の全編にゲストで出演したほか、兵動大樹(矢野・兵動)とともに、「新 矢野・兵動」と名乗りながら甲子園球場の環境保全施策を取材。
パネルクイズ アタック25(朝日放送テレビ制作・テレビ朝日系列で放送)
オープニングクイズ出題者としてVTR出演(2013年3月3日放送分)
2000回記念番組対抗芸能人大会に古田敦也と共に「熱闘甲子園&スーパーベースボールチーム」として回答者出演(2015年7月19日放送分)
探偵!ナイトスクープ(朝日放送テレビ) – 自身の著書『阪神の女房』のPRを兼ねて“顧問”として出演。出演映画[編集]
『ミスター・ルーキー』(2002年) – 阪神をテーマにした作品。当時の現役選手を代表して、本人役で最終決戦のシーンに捕手として出演。出演CM[編集]
NEXTStage「極肌」(2012年、ABCラジオ・関西ローカル限定で放送)
NTTDoCoMo関西(2013年 – ) – スポンサーに付いているABCテレビ制作・全国ネットの高校野球関連番組(『速報!甲子園への道』や全国高校野球選手権大会中継)内を中心に放送
関西アーバン銀行(2015年、ABCラジオ・関西ローカル限定で放送)
阪神甲子園球場(2015年、関西ローカル限定で放送) – 阪神甲子園球場へ来場する際に電車・バスの利用を促す内容で、阪神電鉄の駅貼りポスターのモデルにも起用されている。ABCラジオでは、矢野を起用した他社のスポットCMも随時流している。以下はいずれも、阪神での現役選手時代に出演したテレビCM。

上新電機(赤星憲広・今岡誠と共に出演、2008年まで)
ハウス食品「六甲のおいしい水」(2004年からの今岡に加わって2006年より出演)著書[編集]
『考える虎:最強タイガースを作り上げた攻守のカナメ』(ベースボール・マガジン社、2011年3月、ISBN 9784583103440)
『阪神の女房』(朝日新聞出版、2011年6月、ISBN 9784022508553)
『捕手目線のリーダー論:六つの要』(講談社、2012年3月、ISBN 978-4062169189)
『気を込める:虎の成功プロセス』(下柳剛との共著、ベースボール・マガジン社、2013年10月、ISBN 9784583106212)
『左手の記憶:20年間受け止めた「投手の決め球」と「男の気持ち」』(竹書房、2014年10月、ISBN 9784801900387)脚注[編集]
[脚注の使い方]
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^ “激白!阪神・矢野監督、ミラクル6連勝中に勝負の赤パンツ「毎日はいていた!」”. サンケイスポーツ. (2019年10月5日). https://www.sanspo.com/article/20191005-ITFMMZYO7VNNZMVJJFNUI2M44U/ 2019年10月18日閲覧。 

^ “阪神・矢野監督、勝負の赤パン…奥川ひけずも、西に期待”. 朝日新聞デジタル. (2019年10月18日). https://digital.asahi.com/articles/ASMBK54ZNMBKPTQP008.html 2019年10月18日閲覧。 

^ “矢野監督が赤パンツで験担ぎ大逆転!流れ変えた高山”. 日刊スポーツ. (2019年10月5日). https://www.nikkansports.com/baseball/column/torada/news/201910050001060.html 2019年10月18日閲覧。 

^ “「矢野燿大監督勝負パンツ」を発売!”. 阪神タイガース公式サイト (2020年6月7日). 2020年6月24日閲覧。

^ “阪神ドラフト1位公表せず 矢野監督は赤パン封印へ”. 日刊スポーツ. (2020年10月25日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/202010250001247.html 2020年10月31日閲覧。 

^ “甲子園で初の成人式 阪神矢野監督「チャレンジを」”. 日刊スポーツ. (2020年1月11日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/202001130000306.html 2020年1月11日閲覧。 

^ “コーチ”. 矢野燿大オフィシャルブログ (2015年10月28日). 2015年10月29日閲覧。

^ “阪神清水HC矢野監督と一心同体 星野イズムも継承に”. 日刊スポーツ. (2018年10月23日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201810230000291.html 2019年2月4日閲覧。 

^ “球児提案で最強バッテリー復活 “戦友”の矢野監督「気遣いかな」”. スポーツニッポン. (2018年10月23日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2020/11/11/kiji/20201111s00001173128000c.html 2020年11月12日閲覧。 

^ “【矢野燿大物語48】人々の記憶に永遠に刻み込まれた「最強バッテリー」”. スポーツニッポン. (2018年12月12日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/tigersyano/kiji/20181204s00001410350000c.html 2021年11月19日閲覧。 

^ “阪神OB矢野氏がスシロー応援部長に就任”. 日刊スポーツ. (2011年3月8日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20110308-746120.html 2015年10月29日閲覧。 

^ “阪神矢野監督ら甲子園の土集め、女子野球部3年にも”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2020年6月16日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/202006160000245.html 2020年6月16日閲覧。 

^ “「甲子園の土」キーホルダーの贈呈について”. 阪神タイガース公式サイト (2020年6月8日). 2020年6月8日閲覧。

^ “阪神、甲子園の土を球児の元へ キーホルダー4万8700個発送”. 47NEWS (共同通信社). (2020年8月31日). https://www.47news.jp/news/5201566.html 2020年9月3日閲覧。 

^ “阪神に日本高野連から「甲子園の土」寄贈の感謝状”. 日刊スポーツ. (2020年11月27日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/202011270000310.html 2020年11月28日閲覧。 

^ “2台目ベンツゲット!虎・福留「来年優勝」してEクラス頂く(5)ヤナセ・阪神タイガースMVP賞歴代受賞者”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社). (2015年12月12日). http://www.sanspo.com/baseball/photos/20151212/tig15121205030006-p5.html 2018年3月1日閲覧。 

^ “【ファン交歓会一問一答】原口、関西弁の女性「いいと思います」(画像6)歴代サンスポMVP大賞、新人賞の受賞者”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社). (2016年11月23日). http://www.sanspo.com/baseball/photos/20161123/tig16112305040011-p6.html 2017年9月8日閲覧。 

^ 「阪神・矢野が1000試合出場」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2004年(平成16年)4月5日付朝刊、19面(スポーツ面)。

^ 「阪神・矢野が通算サヨナラ安打の球団タイ」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2008年(平成20年)9月14日付朝刊、22面(スポーツ面)。

^ 『月刊タイガース』2000年5月号45p

^ “元阪神矢野氏 ゴルフツアー本戦出場ならずも「ホッとしました」”. スポーツニッポン. (2013年10月29日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/10/29/kiji/K20131029006903970.html 2021年10月6日閲覧。 

関連項目[編集]
大阪府出身の人物一覧
大阪市出身の人物一覧
東北福祉大学の人物一覧
中日ドラゴンズの選手一覧
阪神タイガースの選手一覧
日本のプロ野球監督一覧外部リンク[編集]

ウィキメディア・コモンズには、矢野燿大に関連するカテゴリがあります。個人年度別成績 矢野燿大 – NPB.jp 日本野球機構
選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、 The Baseball Cube、 MLB
矢野燿大オフィシャルウェブサイト – 公式サイト
矢野燿大オフィシャルブログ「Thank you」 – Ameba Blog
矢野燿大 (@akihiro_yano_official) – Instagram表話編歴阪神タイガース監督 2019 –
森茂雄 1936
石本秀一 1936 – 1939
松木謙治郎 1940 – 1941
若林忠志 1942 – 1944
藤村富美男 1946
若林忠志 1947 – 1949
松木謙治郎 1950 – 1954
岸一郎 1955
藤村富美男 1955 – 1957
田中義雄 1958 – 1959
金田正泰 1960 – 1961
藤本定義 1961 – 1965
杉下茂 1966
藤本定義 1966 – 1968
後藤次男 1969
村山実 1970 – 1972
金田正泰 1973 – 1974
吉田義男 1975 – 1977
後藤次男 1978
ドン・ブレイザー 1979 – 1980
中西太 1980 – 1981
安藤統男(統夫) 1982 – 1984
吉田義男 1985 – 1987
村山実 1988 – 1989
中村勝広 1990 – 1995
藤田平 1996
吉田義男 1997 – 1998
野村克也 1999 – 2001
星野仙一 2002 – 2003
岡田彰布 2004 – 2008
真弓明信 2009 – 2011
和田豊 2012 – 2015
金本知憲 2016 – 2018
矢野燿大 2019 – 現在
表話編歴阪神タイガース 2022監督
88 矢野燿大

一軍コーチ
99 井上一樹(ヘッド)
85 福原忍(投手)
73 金村曉(投手)
89 藤井彰人(バッテリー)
80 北川博敏(打撃)
83 新井良太(打撃)
71 久慈照嘉(内野守備兼バント担当)
74 藤本敦士(内野守備走塁)
96 筒井壮(外野守備走塁兼分析担当)二軍監督・コーチ
78 平田勝男(監督)
81 藤井康雄(一・二軍巡回打撃)
86 安藤優也(投手)
90 久保田智之(投手)
72 江草仁貴(投手)
87 野村克則(バッテリー)
84 日高剛(打撃兼分析担当)
70 田中秀太(内野守備走塁)
76 工藤隆人(外野守備走塁)投手
13 岩崎優
15 西純矢
16 西勇輝
17 岩貞祐太
18 馬場皐輔
19 藤浪晋太郎
20 森木大智
21 秋山拓巳
27 伊藤将司
28 鈴木勇斗
29 髙橋遥人
30 佐藤蓮
34 二保旭
35 才木浩人
36 浜地真澄
37 及川雅貴
40 尾仲祐哉
41 村上頌樹
42 ケラー
43 守屋功輝
44 アルカンタラ
46 島本浩也
47 桐敷拓馬
48 齋藤友貴哉
49 ガンケル
50 青柳晃洋
52 ウィルカーソン
54 加治屋蓮
56 小林慶祐
64 岡留英貴
65 湯浅京己
66 小川一平
69 石井大智
92 渡邉雄大
93 岩田将貴
98 小野泰己捕手
2 梅野隆太郎
12 坂本誠志郎
39 榮枝裕貴
57 長坂拳弥
59 藤田健斗
68 中川勇斗
95 片山雄哉内野手
00 山本泰寛
0 木浪聖也
3 大山悠輔
4 熊谷敬宥
8 佐藤輝明
26 北條史也
31 マルテ
33 糸原健斗
38 小幡竜平
45 遠藤成
51 中野拓夢
55 陽川尚将
62 植田海
67 髙寺望夢
91 ロドリゲス
94 原口文仁外野手
5 近本光司
7 糸井嘉男
9 髙山俊
24 ロハス・ジュニア
25 江越大賀
32 井上広大
53 島田海吏
58 前川右京
61 豊田寛
63 板山祐太郎
97 小野寺暖育成選手
124 望月惇志(投手)
125 伊藤稜(投手)
126 牧丈一郎(投手)
127 川原陸(投手)
 業績表話編歴日本シリーズ敢闘賞1950年代
1953 簑原宏
1954 大下弘
1955 戸川一郎
1956 稲尾和久
1957 宮本敏雄
1958 藤田元司
1959 土屋正孝1960年代
1960 田宮謙次郎
1961 J.スタンカ
1962 吉田義男
1963 稲尾和久
1964 山内一弘
1965 森下整鎮
1966 渡辺泰輔
1967 足立光宏
1968 長池徳二
1969 長池徳二1970年代
1970 井石礼司
1971 山田久志
1972 足立光宏
1973 野村克也
1974 高木守道
1975 山本浩二
1976 柴田勲
1977 河埜和正
1978 足立光宏
1979 井本隆1980年代
1980 小川亨
1981 井上弘昭
1982 上川誠二
1983 西本聖
1984 山沖之彦
1985 石毛宏典
1986 達川光男
1987 篠塚利夫
1988 宇野勝
1989 新井宏昌1990年代
1990 岡崎郁
1991 川口和久
1992 岡林洋一
1993 清原和博
1994 清原和博
1995 小林宏
1996 仁志敏久
1997 松井稼頭央
1998 大塚光二
1999 川上憲伸2000年代
2000 城島健司
2001 T.ローズ
2002 A.カブレラ
2003 金本知憲
2004 井上一樹
2005 矢野輝弘
2006 川上憲伸
2007 ダルビッシュ有
2008 A.ラミレス
2009 髙橋信二2010年代
2010 和田一浩
2011 吉見一起
2012 稲葉篤紀
2013 長野久義
2014 R.メッセンジャー
2015 山田哲人
2016 B.エルドレッド
2017 宮﨑敏郎
2018 鈴木誠也
2019 亀井善行2020年代
2020 戸郷翔征
2021 山本由伸
表話編歴セントラル・リーグ ベストナイン(捕手)1950年代
1950 荒川昇治
1951 野口明
1952 野口明
1953 広田順
1954 広田順
1955 広田順
1956 藤尾茂
1957 藤尾茂
1958 藤尾茂
1959 藤尾茂1960年代
1960 土井淳
1961 森昌彦
1962 森昌彦
1963 森昌彦
1964 森昌彦
1965 森昌彦
1966 森昌彦
1967 森昌彦
1968 森昌彦
1969 木俣達彦1970年代
1970 木俣達彦
1971 木俣達彦
1972 田淵幸一
1973 田淵幸一
1974 田淵幸一
1975 田淵幸一
1976 田淵幸一
1977 木俣達彦
1978 大矢明彦
1979 木俣達彦1980年代
1980 大矢明彦
1981 山倉和博
1982 中尾孝義
1983 山倉和博
1984 達川光男
1985 八重樫幸雄
1986 達川光男
1987 山倉和博
1988 達川光男
1989 中尾孝義1990年代
1990 村田真一
1991 古田敦也
1992 古田敦也
1993 古田敦也
1994 西山秀二
1995 古田敦也
1996 西山秀二
1997 古田敦也
1998 谷繁元信
1999 古田敦也2000年代
2000 古田敦也
2001 古田敦也
2002 阿部慎之助
2003 矢野輝弘
2004 古田敦也
2005 矢野輝弘
2006 矢野輝弘
2007 阿部慎之助
2008 阿部慎之助
2009 阿部慎之助2010年代
2010 阿部慎之助
2011 阿部慎之助
2012 阿部慎之助
2013 阿部慎之助
2014 阿部慎之助
2015 中村悠平
2016 石原慶幸
2017 會澤翼
2018 會澤翼
2019 會澤翼2020年代
2020 大城卓三
2021 中村悠平
 セントラル・リーグ ベストナイン(3回)表話編歴2003年 セントラル・リーグ ベストナイン
 投  井川慶
 捕  矢野輝弘
 一  G.アリアス
 二  今岡誠
 三  鈴木健
 遊  二岡智宏
 外  福留孝介 / 赤星憲広 / A.ラミレス
表話編歴2005年 セントラル・リーグ ベストナイン
 投  黒田博樹
 捕  矢野輝弘
 一  新井貴浩
 二  荒木雅博
 三  今岡誠
 遊  井端弘和
 外  青木宣親 / 赤星憲広 / 金本知憲
表話編歴2006年 セントラル・リーグ ベストナイン
 投  川上憲伸
 捕  矢野輝弘
 一  T.ウッズ
 二  荒木雅博
 三  岩村明憲
 遊  井端弘和
 外  青木宣親 / 金本知憲 / 福留孝介表話編歴セントラル・リーグ ゴールデングラブ賞(捕手)1970年代
1972 大矢明彦
1973 田淵幸一
1974 田淵幸一
1975 大矢明彦
1976 大矢明彦
1977 大矢明彦
1978 大矢明彦
1979 若菜嘉晴1980年代
1980 大矢明彦
1981 山倉和博
1982 中尾孝義
1983 山倉和博
1984 達川光男
1985 木戸克彦
1986 達川光男
1987 山倉和博
1988 達川光男
1989 中尾孝義1990年代
1990 古田敦也
1991 古田敦也
1992 古田敦也
1993 古田敦也
1994 西山秀二
1995 古田敦也
1996 西山秀二
1997 古田敦也
1998 谷繁元信
1999 古田敦也2000年代
2000 古田敦也
2001 古田敦也
2002 阿部慎之助
2003 矢野輝弘
2004 古田敦也
2005 矢野輝弘
2006 谷繁元信
2007 谷繁元信
2008 阿部慎之助
2009 谷繁元信2010年代
2010 城島健司
2011 谷繁元信
2012 谷繁元信
2013 阿部慎之助
2014 阿部慎之助
2015 中村悠平
2016 石原慶幸
2017 小林誠司
2018 梅野隆太郎
2019 梅野隆太郎2020年代
2020 梅野隆太郎
2021 中村悠平
1972年から1985年まではダイヤモンドグラブ賞
 セントラル・リーグ ゴールデングラブ賞(2回)表話編歴2003年 セントラル・リーグ ゴールデングラブ賞
 投  上原浩治
 捕  矢野輝弘
 一  G.アリアス
 二  今岡誠
 三  立浪和義
 遊  宮本慎也
 外  福留孝介 / 高橋由伸 / 赤星憲広
表話編歴2005年 セントラル・リーグ ゴールデングラブ賞
 投  黒田博樹
 捕  矢野輝弘
 一  A.シーツ
 二  荒木雅博
 三  岩村明憲
 遊  井端弘和
 外  金城龍彦 / 福留孝介 / 赤星憲広表話編歴セントラル・リーグ 最優秀バッテリー賞1990年代
1991 西村龍次 – 古田敦也
1992 岡林洋一 – 古田敦也
1993 山本昌広 – 中村武志
1994 桑田真澄 – 村田真一
1995 T.ブロス – 古田敦也
1996 斎藤雅樹 – 村田真一
1997 田畑一也 – 古田敦也
1998 佐々木主浩 – 谷繁元信
1999 野口茂樹 – 中村武志2000年代
2000 五十嵐亮太 – 古田敦也
2001 藤井秀悟 – 古田敦也
2002 上原浩治 – 阿部慎之助
2003 井川慶 – 矢野輝弘
2004 川上憲伸 – 谷繁元信
2005 藤川球児 – 矢野輝弘
2006 川上憲伸 – 谷繁元信
2007 高橋尚成 – 阿部慎之助
2008 S.グライシンガー – 阿部慎之助
2009 D.ゴンザレス – 阿部慎之助2010年代
2010 前田健太 – 石原慶幸
2011 吉見一起 – 谷繁元信
2012 内海哲也 – 阿部慎之助
2013 前田健太 – 石原慶幸
2014 菅野智之 – 阿部慎之助
2015 石川雅規 – 中村悠平
2016 野村祐輔 – 石原慶幸
2017 菅野智之 – 小林誠司
2018 大瀬良大地 – 會澤翼
2019 山口俊 – 小林誠司2020年代
2020 大野雄大 – 木下拓哉
2021 柳裕也 – 木下拓哉
投手 – 捕手
表話編歴ゴールデンスピリット賞1990年代
1999 松井秀喜2000年代
2000 片岡篤史
2001 中村紀洋
2002 飯田哲也
2003 井上一樹
2004 赤星憲広
2005 ボビー・バレンタイン
2006 和田毅
2007 三浦大輔
2008 岩隈久志
2009 小笠原道大2010年代
2010 ダルビッシュ有
2011 山﨑武司
2012 藤川球児
2013 宮本慎也
2014 栗山巧
2015 今江敏晃
2016 内海哲也
2017 岩田稔
2018 井口資仁
2019 秋山翔吾2020年代
2021 矢野燿大  野球日本代表表話編歴 野球日本代表 – 1989年日米大学野球選手権大会監督
松田博明コーチ
伊藤義博
竹内昭文
望月教治投手
大谷孝司
葛西稔
小宮山悟
酒井光次郎
佐々木主浩
岡林洋一
水尾嘉孝
竹下潤捕手
中西美之
瀬戸輝信
三輪隆内野手
大森剛
岡本圭治
深水康博
藤田隆弘
奈良原浩
長谷高成泰
矢野輝弘
町田公二郎外野手
大塚孝二
黒須陽一郎
内匠政博
比嘉孝也
本田智久
宮本晃司
表話編歴 野球日本代表 – 1990年日米大学野球選手権大会監督
内田俊雄コーチ
伊藤義博
岩井美樹
岸雅司投手
大庭恵
小坂勝仁
小池秀郎
高津臣吾
長谷川滋利
水尾嘉孝
落合英二
若松幸司捕手
関川浩一
瀬戸輝信
長谷川義法
矢野輝弘内野手
加藤茂樹
斉藤慎太郎
奈良原浩
堀内尊法
宮川一彦
奥村伸一
浜名千広外野手
梶田茂生
斉藤一也
中村孝志
町田公二郎
松尾幸典
伊礼忠彦
表話編歴 野球日本代表 – 2007年アジア野球選手権大会 1 監督
77 星野仙一コーチ
88 田淵幸一
80 山本浩二
72 大野豊投手
11 川上憲伸
13 岩瀬仁紀
14 小林宏之
16 涌井秀章
18 ダルビッシュ有
19 上原浩治
27 藤川球児
28 長谷部康平
60 成瀬善久捕手
10 阿部慎之助
22 里崎智也
39 矢野輝弘内野手
6 井端弘和
7 西岡剛
17 荒木雅博
25 新井貴浩
36 宮本慎也
50 川﨑宗則
55 村田修一外野手
5 和田一浩
9 大村三郎
23 青木宣親
29 森野将彦
41 稲葉篤紀
表話編歴 野球日本代表 – 2008 北京オリンピック監督
77 星野仙一

コーチ
88 田淵幸一(ヘッド兼打撃)
72 大野豊(投手)
80 山本浩二(守備走塁)投手
11 川上憲伸
13 岩瀬仁紀
15 田中将大
16 涌井秀章
17 成瀬善久
18 ダルビッシュ有
19 上原浩治
21 和田毅
28 藤川球児
47 杉内俊哉捕手
10 阿部慎之助
22 里崎智也
39 矢野輝弘内野手
2 荒木雅博
3 中島裕之
6 宮本慎也
7 西岡剛
25 新井貴浩
52 川﨑宗則
55 村田修一外野手
23 青木宣親
31 森野将彦
41 稲葉篤紀
46 佐藤隆彦
表話編歴 野球日本代表 – 2015 WBSCプレミア12(コーチ) 3 監督
90 小久保裕紀

コーチ
73 奈良原浩(ヘッド)
79 大西崇之(外野守備・走塁)
80 稲葉篤紀(打撃)
87 仁志敏久(内野守備・走塁)
88 矢野燿大(バッテリー)
89 鹿取義隆(投手)投手
10 松井裕樹
11 菅野智之
14 則本昂大
15 澤村拓一
16 大谷翔平
18 前田健太
19 増井浩俊
21 西勇輝
22 大野雄大
24 山﨑康晃
29 小川泰弘
30 武田翔太
35 牧田和久捕手
27 炭谷銀仁朗
37 嶋基宏
52 中村悠平内野手
2 今宮健太
3 松田宣浩
5 川端慎吾
6 坂本勇人
9 中島卓也
13 中田翔
23 山田哲人
60 中村剛也外野手
7 中村晃
8 平田良介
25 筒香嘉智
55 秋山翔吾表話編歴中日ドラゴンズ – 1990年ドラフト指名選手指名選手
1位:小島弘務
2位:矢野輝弘
3位:山本保司
4位:吉田太
5位:森田幸一
6位:寺西秀人
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NDL: 01225961
VIAF: 254892517
WorldCat Identities: viaf-254892517
.mw-parser-output .redirectcatnavmargin:1em auto;border-style:none;text-align:left;font-size:100%;clear:both.mw-parser-output .redirectcat ulmargin-left:0矢野輝弘に関するカテゴリ:
中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手
阪神タイガース及びその前身球団の選手
NPBオールスターゲーム選出選手

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【高代】なにわろとんねん。西勇輝に苦言【西勇輝】 Youtube

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2. 阪神・藤浪晋太郎に開幕投手の可能性、西勇輝、高橋遥人の離脱で Yomiuri

Yomiuri
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3. 阪神・藤浪晋太郎に開幕投手の可能性、西勇輝、高橋遥人の離脱で Asahi Shimbun

朝日新聞
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4. 阪神・藤浪晋太郎に開幕投手の可能性、西勇輝、高橋遥人の離脱で The Japan Times

The Japan Times
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読売新聞
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6. 阪神・藤浪晋太郎に開幕投手の可能性、西勇輝、高橋遥人の離脱で Mainichi Shimbun

毎日新聞
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産経新聞
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8. 阪神・藤浪晋太郎に開幕投手の可能性、西勇輝、高橋遥人の離脱で Nihon Keizai Shimbun

日本経済新聞
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9. 阪神・藤浪晋太郎に開幕投手の可能性、西勇輝、高橋遥人の離脱で Chunichi Shimbun

中日新聞
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10. 阪神・藤浪晋太郎に開幕投手の可能性、西勇輝、高橋遥人の離脱で Tokyo Shimbun

東京新聞
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11. 阪神・藤浪晋太郎に開幕投手の可能性、西勇輝、高橋遥人の離脱で Nihon Kogyo Simbun

日本工業新聞
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日刊工業新聞
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13. 阪神・藤浪晋太郎に開幕投手の可能性、西勇輝、高橋遥人の離脱で Ainu Times

アイヌタイムス
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14. 阪神・藤浪晋太郎に開幕投手の可能性、西勇輝、高橋遥人の離脱で Akita Sakigake Shimpo

秋田魁新報
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15. 阪神・藤浪晋太郎に開幕投手の可能性、西勇輝、高橋遥人の離脱で Chiba Nippo

千葉日報
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16. 阪神・藤浪晋太郎に開幕投手の可能性、西勇輝、高橋遥人の離脱で Chugoku Shimbun

中国新聞
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17. 阪神・藤浪晋太郎に開幕投手の可能性、西勇輝、高橋遥人の離脱で Daily Tohoku

デイリー東北
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18. 阪神・藤浪晋太郎に開幕投手の可能性、西勇輝、高橋遥人の離脱で The Eastern Chronicle

イースタン クロニクル
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