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天皇 陛下 が 2 年間 留学 され た 大学 は どこ

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「文仁親王」はこの項目へ転送されています。第112代・霊元天皇の第6皇子については「京極宮文仁親王」をご覧ください。

秋篠宮文仁親王
秋篠宮家
2016年(平成28年)撮影続柄
上皇第2皇男子[1]宮号
秋篠宮(あきしののみや)全名
文仁(ふみひと)称号
礼宮(あやのみや)身位
親王敬称
殿下お印
栂(つが)出生
(1965-11-30) 1965年11月30日(56歳) 日本・東京都千代田区千代田皇居・宮内庁病院配偶者
文仁親王妃紀子(川嶋紀子)子女

小室眞子(眞子内親王)
佳子内親王
悠仁親王父親
明仁(上皇)母親
美智子(上皇后)栄典
大勲位 役職

山階鳥類研究所総裁
日本動物園水族館協会総裁
世界自然保護基金ジャパン名誉総裁 他多数テンプレートを表示称号:親王(皇嗣)
敬称
殿下His Imperial Highness the Crown Prince[2]皇室

天皇 徳仁皇后 雅子

敬宮 愛子内親王上皇 明仁上皇后 美智子秋篠宮 文仁親王秋篠宮文仁親王妃 紀子
佳子内親王
悠仁親王常陸宮 正仁親王常陸宮正仁親王妃 華子三笠宮崇仁親王妃 百合子
寬仁親王妃 信子
彬子女王
瑶子女王高円宮憲仁親王妃 久子
承子女王表・話・編・歴
秋篠宮文仁親王(あきしののみや ふみひとしんのう、1965年〈昭和40年〉11月30日 – )は、日本の皇族。皇嗣[注釈 1][注釈 2](2019年〈令和元年〉5月1日 – )。秋篠宮家当主。御称号は礼宮(あやのみや)、お印は栂(ツガ)。身位は親王。敬称は殿下[3]。勲等は大勲位。皇室会議議員。
明仁(第125代天皇・上皇)と美智子(上皇后)の第2皇男子(2男1女のうち第2子)。徳仁(第126代天皇)の皇弟、黒田清子(清子内親王)の次兄。

来歴[編集]
少年時代[編集]
お印に選ばれた栂
1965年(昭和40年)11月30日午前0時22分、皇太子明仁親王と同妃美智子(いずれも当時)の第二子で次男として宮内庁病院で誕生。幼少時の御称号は礼宮(あやのみや)。「論語」より「博く文を学び、これを約するに礼をもってすれば、またもって畔(そむ)かざるべし」が由来。
幼少時はやんちゃなイメージとして知られていた。テニス等のスポーツに熱心に取り組む一方、地理などにも関心を持っていた。
また妹・黒田清子の夫である黒田慶樹とは少年時代からの学友。

青年時代[編集]
1984年(昭和59年)、学習院大学法学部政治学科に入学。翌年には自然文化研究会を結成し、積極的にサークル活動を行うとともに、東京農業大学育種学研究所を前身とする財団法人進化生物学研究所で家禽類研究に従事。一学年下の川嶋紀子と知り合いサークル活動を通じ交際を深め、1986年(昭和61年)6月26日に自ら求婚していた。同年から財団法人山階鳥類研究所総裁。学生時代から「口髭」を伸ばしはじめ、それが今でもトレードマークになっているが、伸ばし始めた当初は宮内庁から顰蹙を買っていたことが侍従の日記に残されている[4]。
1988年(昭和63年)、学習院大学法学部政治学科を卒業。同年より社団法人日本動物園水族館協会総裁を務めるとともに、2年間、オックスフォード大学セント・ジョンズ・カレッジ大学院動物学科に留学し魚類に関する分類学を学ぶ。1989年(昭和64年)1月7日、祖父・昭和天皇が崩御、父が第125代天皇に即位したことに伴い、兄・皇太子徳仁親王に次いで、皇位継承順位第2位となる。同年から1年間オックスフォード大学大学博物館及びロンドン自然史博物館に在籍。
同年8月26日、川嶋紀子との結婚内定が報道される。9月12日、文仁親王と川嶋紀子の婚姻に関する皇室会議が開催された。全員一致で2人の婚姻が可決され、婚約が内定。午後から記者会見が行われた。平成改元後初の皇室での慶事であり、若々しい2人の結婚は国民から盛大に祝福された。関連書籍やアニメが作られ、「紀子さまブーム」[5]とも言われる一大現象となった。
昭和天皇の喪が明けた翌1990年(平成2年)1月12日に納采の儀が執り行われ、前年9月12日の皇室会議で承認された2人の婚約が正式決定した。皇室において昭和天皇崩御後初の慶事となり、納采後の皇居には、皇族や三権の長らが祝賀訪問、お祝い記帳も行われた[6]。
同年6月29日、結婚の儀が行われ、同日秋篠宮家を創設した。宮号は奈良県奈良市の地名「秋篠」に由来する。

秋篠宮家の紋
秋篠宮時代[編集]
束帯に身を包んだ文仁親王1990年(平成2年)11月12日、父明仁の即位礼正殿の儀にて
2005年(平成17年)天皇誕生日一般参賀にて
成婚以来、同妃紀子とともに地道に公務を果たす。特にインドネシア・タイなどの東南アジア諸国を公私ともによく訪問し、チャクリー王朝とも交流が深い。
1991年(平成3年)10月23日、第1子で長女の眞子内親王が誕生。”眞”の文字は秋篠宮の”ひらめき”によって選ばれた。1992年(平成4年)に財団法人日本テニス協会名誉総裁に就任。1994年(平成6年)12月29日には、第2子で次女の佳子内親王が誕生。1997年財団法人世界自然保護基金ジャパン総裁就任。2000年より日蘭協会名誉総裁、2004年より特定非営利活動法人全日本愛瓢会名誉総裁、2005年よりサイアム・ソサエティー名誉副総裁。
宮中祭祀・各種公務に取り組む他に、魚類や家禽類の研究も行っている。総合研究大学院大学生命科学研究科遺伝学専攻を構成する国立遺伝学研究所・五條堀孝教授の指導の下、1996年(平成8年)9月30日、家禽のニワトリの起源を遺伝子に基づき解析した研究により、総合研究大学院大学から論文博士(理学)の学位を授与された[7][8]。
通称「さんまの会」では友人知人を自邸に招いており、この集まりが妹・清子内親王と長年の友人である黒田慶樹の交際を深めるきっかけを作った。その後、2005年(平成17年)の彼らの結婚について非常に喜んだ。
兄・皇太子徳仁親王および義姉・同妃雅子には、2001年(平成13年)12月に第一皇女の敬宮愛子内親王が誕生。しかし、この後皇太子および同妃には長らく懐妊の兆候が無かったため、第125代天皇明仁の皇孫の世代に男子が皆無という状況は解消されず、皇位は男系男子による継承が絶える危機に直面していた。2003年(平成15年)12月には湯浅利夫宮内庁長官が、「皇室の繁栄を考えると、(秋篠宮および同妃に)第三子を強く希望する」と発言した[注釈 3]。2006年(平成18年)の歌会始では、同妃紀子ともに前年9月24日のコウノトリ放鳥に関する歌を詠んだが、コウノトリは赤ん坊をもたらすシンボルである事から、第三子を望む気持ちがあったと考えられている[10]。
2004年(平成16年)からは皇室典範に関する有識者会議により女性・女系天皇容認の議論が進む中、2006年(平成18年)2月7日、同妃紀子の懐妊がスクープされる。当日は公務のため千葉県我孫子市におり、報告を直接受ける前の報道となった。2月25日に、宮内庁から懐妊が正式発表された。
同年9月6日、皇室史上初の帝王切開により第3子で長男の悠仁親王が誕生。皇室においては文仁親王自身の誕生以来、実に41年ぶりの男系男子誕生である。
また、2001年(平成13年)から東京農業大学で学生指導を開始。2006年(平成18年)からは非常勤講師を務め、2008年(平成20年)より同妃紀子の弟が講師を務める東京農業大学農学部バイオセラピー学科客員教授に就任。2年後の2010年(平成22年)3月まで務めた。2007年からは東京大学総合研究博物館特招研究員。
2009年8月21日から28日にかけて秋篠宮同妃はベアトリックス女王及びオランダ政府の招待により、オランダを公式訪問した。
夫妻の訪問は日蘭通商400周年の機会を捉えたものであり、滞在中、日蘭通商400周年記念式典へ出席の他、バルケネンデ首相表敬、地方訪問、(アムステルダム、バルネフェルト、アッペルドールン)等の日程を精力的にこなした。
日蘭両国は、2008年の「外交関係開設150周年」に続き、2009年は「日蘭通商400周年」と2年にわたって周年を祝しており、各地で周年行事が開催されていた。秋篠宮同妃のオランダ訪問は種々の周年行事のハイライトとなった。日蘭協会の名誉総裁である秋篠宮がオランダを訪問し、ハーグで開催された記念式典に出席し、オランダ王室府から厚遇されたことは、日蘭両国の友好関係を再確認し、一層増進することとなった[11]。
2011年(平成23年)11月15日、天皇明仁が入院中で皇太子徳仁親王が長野県訪問中のため皇位継承順位に基づき文仁親王が天皇の名代として初めて天皇の公務を務め、皇居・宮殿で秋の勲章受章者らと接見して天皇の「お言葉」を代読し、皇居・御所で南アフリカ共和国のマックス・シスル(英語版)国民議会議長と懇談した[12]。
また、文仁親王は有栖川宮職仁親王から始まる有栖川流書道の伝承者でもある。2007年(平成19年)9月16日から2015年(平成27年)9月15日まで皇室会議の予備議員を、2015年(平成27年)9月16日から現在まで皇室会議の議員を務めている[13]。ただし、2017年(平成29年)12月1日の天皇の退位等に関する皇室典範特例法の施行期日を定める為の皇室会議では、議題の利害関係者であったため出席を辞退し、予備議員の常陸宮正仁親王が代わった。
2018年(平成30年)の53歳の誕生日を迎えての記者会見で、兄の徳仁の大嘗祭(だいじょうさい)について、国費ではなく、内廷の私的活動費「内廷会計(内廷費)」でまかなうべきであり「身の丈にあった儀式」とすることが「本来の姿」との認識を示した。

皇嗣時代[編集]
自身が名誉総裁を務めたラグビーワールドカップ2019を同妃紀子同伴で観戦する、試合:日本対ロシア戦(2019年9月20日、会場:東京スタジアム)
2019年(令和元年)5月1日、兄の徳仁が第126代天皇に即位したことに伴い、皇嗣となった。
1926年(昭和元年)12月25日の昭和天皇の践祚から1933年(昭和8年)12月23日の継宮明仁親王(当時)が誕生するまでの間に、秩父宮雍仁親王(昭和天皇の長弟)が皇位継承順位第1位であったが、それ以来86年ぶりで、現行の皇室典範の下では初めて、皇子以外の皇族が皇嗣となった。
2019年(令和元年)10月22日に行われた即位礼正殿の儀では、皇太子と同等の装束(黄丹袍)で参列した。
新型コロナウイルス感染症が蔓延する中、2020年(令和2年)5月に、自身が総裁を務める済生会病院に対して秋篠宮一家と皇嗣職職員が作ったガウン500着を寄付した[14]。
2020年(令和2年)11月8日、皇位継承順位1位の皇嗣となったことを天皇が内外に宣明する国事行為たる儀式「立皇嗣の礼」が皇居・宮殿で行われた[15]。天皇の宣明に対し、秋篠宮は「皇嗣としての責務に深く思いを致し、務めを果たしてまいりたく存じます」と決意を述べた[15]。
2022年4月21日、秋篠宮夫妻は立皇嗣の関連行事を締めくくる伊勢神宮参拝を行った。当日は豪雨であったが参拝の直前に奇跡のように雨が止んでいる[16]。
皇嗣となったことで警備上の都合により、住居の秋篠宮邸が改修されることとなり、工事の間、一家は御用地内に新設された「御仮寓所」に移り住んでいる。
2022年7月宮内庁御用掛に元警視総監の吉田尚正が着任した。着任にあたっては山積する皇嗣家の諸問題に対処するために他の社外取締役などを全て辞して、専任で就任している[17]。

年譜[編集]
1965年(昭和40年)11月30日、誕生。
1970年(昭和45年)10月18日(4歳)、着袴の儀。
1985年(昭和60年)11月30日(20歳)、加冠の儀。
1988年(昭和63年)(22歳)、学習院大学法学部政治学科卒業。
1990年(平成2年)6月29日(24歳)、学習院大学教授川嶋辰彦の長女川嶋紀子と成婚。同日秋篠宮家を創設。
1991年(平成3年)10月23日(25歳)、長女(第1子)眞子内親王誕生。
1994年(平成6年)12月29日(29歳)、次女(第2子)佳子内親王誕生。
2006年(平成18年)9月6日(40歳)、長男(第3子)悠仁親王誕生。
2019年(令和元年)5月1日(53歳)、兄徳仁(第126代天皇)の即位に伴い、皇嗣。
2020年(令和2年)11月8日(54歳)、立皇嗣の礼。子女[編集]
親王妃紀子との間には、1男2女の3子がある。第126代天皇徳仁の皇甥姪、第125代天皇明仁の皇孫にあたる。

名前および身位

読み

生年月日と年齢

続柄

備考
眞子内親王

まこ

平成03年(1991年)10月23日(30歳)

第1女子(第1子)

皇籍離脱後、小室眞子となる。
佳子内親王

かこ

平成06年(1994年)12月29日(27歳)

第2女子(第2子)

悠仁親王

ひさひと

平成18年(2006年)09月06日(16歳)

第1男子(第3子)

系譜[編集]
秋篠宮文仁親王

父:第125代:明仁

祖父:第124代:昭和天皇

曾祖父:第123代:大正天皇
曾祖母:貞明皇后
祖母:香淳皇后

曾祖父:邦彦王(久邇宮)
曾祖母:俔子
母:美智子(上皇后)

祖父:正田英三郎

曾祖父:正田貞一郎
曾祖母:正田きぬ
祖母:正田富美子

曾祖父:副島綱雄
曾祖母:副島アヤ
秋篠宮文仁親王の系譜

                  16. 122代天皇明治天皇       8. 123代天皇大正天皇           17. 柳原愛子       4. 124代天皇昭和天皇              18. 九条道孝       9. 貞明皇后           19. 野間幾子       2. 125代天皇明仁                 20. 久邇宮朝彦親王       10. 久邇宮邦彦王           21. 泉萬喜子       5. 香淳皇后              22. 島津忠義       11. 島津俔子           23. 山崎寿満子       1. 秋篠宮文仁親王                    24. 正田作次郎       12. 正田貞一郎           25. 正田幸       6. 正田英三郎              13. 正田きぬ           3. 上皇后美智子                 14. 副島綱雄           7. 正田富美子              15. 副島アヤ          
秋篠宮文仁親王の男系直系祖先[編集]
代数は皇統譜による。
北朝は歴代に算入していない。
1 神武天皇
2 綏靖天皇
3 安寧天皇
4 懿徳天皇
5 孝昭天皇
6 孝安天皇
7 孝靈天皇
8 孝元天皇
9 開化天皇
10 崇神天皇

11 垂仁天皇
12 景行天皇
日本武尊
14 仲哀天皇
15 応神天皇
稚野毛二派皇子
意富富杼王
乎非王
彦主人王
26 継体天皇

29 欽明天皇
30 敏達天皇
押坂彦人大兄皇子
34 舒明天皇
38 天智天皇
志貴皇子
49 光仁天皇
50 桓武天皇
52 嵯峨天皇
54 仁明天皇

58 光孝天皇
59 宇多天皇
60 醍醐天皇
62 村上天皇
64 円融天皇
66 一条天皇
69 後朱雀天皇
71 後三条天皇
72 白河天皇
73 堀河天皇

74 鳥羽天皇
77 後白河天皇
80 高倉天皇
82 後鳥羽天皇
83 土御門天皇
88 後嵯峨天皇
89 後深草天皇
92 伏見天皇
93 後伏見天皇
北1 光厳天皇

北3 崇光天皇
栄仁親王(伏見宮)
貞成親王(伏見宮)
102 後花園天皇
103 後土御門天皇
104 後柏原天皇
105 後奈良天皇
106 正親町天皇
誠仁親王
107 後陽成天皇

108 後水尾天皇
112 霊元天皇
113 東山天皇
直仁親王(閑院宮)
典仁親王(閑院宮)
119 光格天皇
120 仁孝天皇
121 孝明天皇
122 明治天皇
123 大正天皇

124 昭和天皇
125 明仁
秋篠宮文仁親王

系図[編集]
    122明治天皇    123大正天皇                                124昭和天皇 秩父宮雍仁親王 高松宮宣仁親王 三笠宮崇仁親王                                       125上皇 常陸宮正仁親王 寬仁親王 桂宮宜仁親王 高円宮憲仁親王             126今上天皇 秋篠宮文仁親王            悠仁親王

        歴代天皇 歴代皇后 親王 内親王・女王 臣籍降下 妃   大正天皇(明治天皇の子) 貞明皇后(大正天皇の妻)                                                                                 昭和天皇(大正天皇の子) 香淳皇后(昭和天皇の妻) 秩父宮雍仁親王(大正天皇の子) 雍仁親王妃勢津子(秩父宮雍仁親王の妻) 高松宮宣仁親王(大正天皇の子) 宣仁親王妃喜久子(高松宮宣仁親王の妻)            三笠宮崇仁親王(大正天皇の子) 崇仁親王妃百合子(三笠宮崇仁親王の妻)                                                                                                                                      東久邇成子(照宮)(昭和天皇の子、臣籍降下) 久宮祐子内親王(昭和天皇の子) 鷹司和子(孝宮)(昭和天皇の子、臣籍降下) 池田厚子(順宮)(昭和天皇の子、臣籍降下) 上皇明仁(昭和天皇の子) 上皇后美智子(上皇明仁の妻) 常陸宮正仁親王(昭和天皇の子) 正仁親王妃華子(常陸宮正仁親王の妻) 島津貴子(清宮)(昭和天皇の子、臣籍降下) 近衞甯子(三笠宮崇仁親王の子、臣籍降下) 寬仁親王(三笠宮崇仁親王の子) 寬仁親王妃信子(寬仁親王の妻) 桂宮宜仁親王(三笠宮崇仁親王の子) 千容子(三笠宮崇仁親王の子、臣籍降下) 高円宮憲仁親王(三笠宮崇仁親王の子) 憲仁親王妃久子(高円宮憲仁親王の妻)                                                                                                                                                                                                           天皇徳仁(明仁の子) 皇后雅子 皇嗣秋篠宮文仁親王(明仁の子) 皇嗣妃文仁親王妃紀子(秋篠宮文仁親王の妻) 黒田清子(紀宮)(明仁の子、臣籍降下)                     彬子女王(寬仁親王の子) 瑶子女王(寬仁親王の子)     承子女王(高円宮憲仁親王の子) 千家典子(高円宮憲仁親王の子、臣籍降下) 守谷絢子(高円宮憲仁親王の子、臣籍降下)                                       敬宮愛子内親王(徳仁の子)   小室眞子(秋篠宮文仁親王の子) 佳子内親王(秋篠宮文仁親王の子) 悠仁親王(秋篠宮文仁親王の子)
皇位継承資格[編集]
日本の皇位継承順位:令和元年(2019年)5月1日 –

順位

皇位継承資格者

読み

性別

生年月日

現年齢

今の天皇から見た続柄

摂政就任順位
 
 
第1位

秋篠宮文仁親王

あきしののみや

ふみひと

男性

1965年11月30日(昭和40年)

56歳

親等2/弟 / 上皇明仁第2皇男子

第1位
第2位

悠仁親王

ひさひと

男性

2006年09月06日(平成18年)

16歳

親等3/甥 / 秋篠宮文仁親王第1男子

第3位

常陸宮正仁親王

ひたちのみや

まさひと

男性

1935年11月28日(昭和10年)

86歳

親等3/叔父 / 昭和天皇第2皇男子

第2位
2019年(令和元年)5月1日現在の皇位継承順位は第1位(皇嗣・推定相続人)。
父・第125代天皇明仁の退位にあたり、2019年5月1日に皇位継承順位1位の兄である皇太子徳仁親王(同年4月30日まで)が皇位を継承したため、文仁親王は新たに皇嗣(皇位継承順位1位)となった。政府方針による呼称は皇嗣殿下(こうしでんか)[18]となり、宮内庁による正式呼称は秋篠宮皇嗣殿下[19][20]となった。皇室典範特例法第5条の規定により、皇嗣となった2019年(令和元年)5月1日以降、皇太子と同等の待遇とされている(国外への対外的な呼称は皇太子と同等のthe Crown Prince[21])。
なお、文仁親王が即位するまでに、兄天皇・徳仁に皇子(皇太子)が誕生するか、自身が薨去(死去)するか、皇室会議で皇位継承順位を入れ替えられない限り、第127代天皇となる。
政府は、(皇太子による立太子の礼に代わって)文仁親王が皇嗣になることを広く国民に明らかにする立皇嗣の礼を、憲法で定める国事行為として行うことを決めた。立皇嗣の礼の時期などについて、内閣官房や儀式の事務を担う宮内庁などで検討した結果、2019年(令和元年)10月22日の即位礼正殿の儀からおよそ半年後の2020年(令和2年)4月、皇居宮殿正殿の松の間などで行う方向となり、調整が進められていた。しかし新型コロナウイルスの影響で延期となり、2020年11月8日に実施された。[22]立皇嗣の礼以降、公式行事などでは新たに作られた皇嗣旗を使用している。

栄典・称号[編集]
栄典[編集]
日本[編集]
– 大勲位菊花大綬章:1985年(昭和60年)11月30日[23]外国[編集]
イザベル・ラ・カトリカ勲章(スペイン語版)員としての紋章
ベルギー: 王冠勲章大十字章(英語版) – [24]
イタリア: イタリア共和国功労勲章大十字騎士章 – (1998年〈平成10年〉4月12日)[25]
オランダ: 王冠勲章大十字章(英語版) – (2014年〈平成26年〉10月)[26]
ペルー: ペルー太陽勲章大十字章(スペイン語版) – (2014年〈平成26年〉1月)[27][28]
スペイン: イザベル・ラ・カトリカ勲章大十字章(スペイン語版) – (2008年〈平成20年〉11月8日)[29]
 スウェーデン: 北極星勲章大十字司令官章(英語版) –
パラグアイ:国家功労勲章特別大十字章(英語版) – (2021年〈令和3年〉)[30]役職等[編集]
皇室会議議員(2期、2015年〈平成27年〉9月16日 – )[31][32]
山階鳥類研究所総裁(1986年〈昭和61年〉 – )[33]
日本動物園水族館協会総裁(1988年〈昭和63年〉5月25日- )[34]
御寺泉涌寺を護る会総裁(1996年〈平成8年〉 – )[33]
恩賜財団済生会総裁(2013年〈平成25年〉4月1日 – )[35]
大日本農会総裁(2014年〈平成26年〉10月10日 – )[36]
大日本山林会総裁(2014年〈平成26年〉10月10日 – )[37]
日本植物園協会(2016年〈平成28年〉4月1日 – )[38]
家畜資源学術標本基金総裁(2019年〈平成31年〉4月1日 – )[39]
世界自然保護基金ジャパン名誉総裁(1997年〈平成9年〉 – )[33]
日蘭協会名誉総裁(2000年〈平成12年〉 – )[33]
全日本愛瓢会名誉総裁(2004年〈平成16年〉5月 – )[40]
日本水大賞委員会名誉総裁(2005年〈平成17年〉5月 – )[41]
日本ワックスマン財団名誉総裁(2012年〈平成24年〉4月1日 – )[42]
「ラグビーワールドカップ2019日本大会」名誉総裁(2018年〈平成30年〉9月20日 – 2019年〈令和元年〉11月2日)[43]
日本テニス協会名誉総裁(1992年〈平成4年〉4月10日 – 2015年〈平成27年〉10月9日)[44]
「日本ドナウ交流年2009」日本側名誉総裁(2009年〈平成21年〉)[注釈 4][45]
「日本インドネシア友好年」日本側名誉総裁(2008年〈平成20年〉)[46]
サイアム・ソサエティー名誉副総裁(2005年〈平成17年〉 – )[33]
東京大学総合研究博物館特招研究員(2007年〈平成19年〉 – )[33]
東京農業大学農学部客員教授(2008年〈平成20年〉 – )[33]
総合研究大学院大学葉山高等研究センター研究員(2005年〈平成17年〉 – 2010年〈平成22年〉)[33]
総合研究大学院大学融合推進センター客員研究員(2011年〈平成23年〉 – 2014年〈平成26年〉)[33]
オーストラリア博物館名誉会員(2016年〈平成28年〉 – )[33]
皇室会議予備議員(2期、2007年〈平成19年〉9月16日 – 2015年〈平成27年〉9月15日)名誉学位[編集]
1995年(平成7年) – カセートサート大学:名誉博士号(水産生物学)
1995年(平成7年) – ブーラパー大学 :名誉博士号(理学)
1999年(平成11年) – コンケン大学:名誉博士号(水産学)
2001年(平成13年) – シーナカリンウィロート大学:名誉博士号(理学)
2001年(平成13年) – チュラーロンコーン大学:名誉博士号(理学)
2003年(平成15年) – ウボンラーチャタニー大学:名誉博士号(農学)
2007年(平成19年) – キングモンクット工科大学:名誉博士号(水産学)
2011年(平成23年) – カセートサート大学:名誉博士号(畜産学)
2011年(平成23年) – チェンマイ大学:名誉博士号(人間・環境管理学)
2012年(平成24年) – タンマサート大学ランシット校:名誉博士号(農業技術)
2018年(平成30年) – マハーサーラカーム大学:名誉博士号(生物学)[33]外国訪問歴(平成以降)[編集]
宮内庁 皇室 外国ご訪問1989年(平成元年)

7月16日 – 8月18日(イギリス・オックスフォード大学留学中): タイ
魚類の調査研究のため。
11月22日 – 11月24日(オックスフォード大学留学中): リヒテンシュタイン
11月13日に崩御した同国元首フランツ・ヨーゼフ2世(リヒテンシュタイン公)の葬儀参列のため。

1990年(平成2年)

4月10日 – 4月25日(オックスフォード大学留学中): ケニア、 マダガスカル
動植物の自然保護区等を視察のため。

1991年(平成3年)

4月24日 – 4月27日: アメリカ合衆国
アメリカ合衆国からの「ヒューストン・インターナショナル・フェスティバル」招待による。1992年(平成4年)

9月13日 – 9月28日: タイ
魚類の調査研究のため。
11月5日 – 11月24日(同妃紀子同行): スリランカ、 パキスタン、 インド、 タイ
秋篠宮および同妃への、スリランカ・パキスタン・インドからの国交樹立40周年を記念する各国訪問の招待、並びにタイからの同国シリキット王妃の還暦祝賀式典への招待による。

1993年(平成5年)

4月6日 – 4月8日(同妃紀子同行): スペイン
スペイン国王フアン・カルロス1世 父バルセロナ伯フアンの葬儀参列のため。
8月4日 – 8月14日: インドネシア
鳥類の調査研究のため。

1994年(平成6年)

8月4日 – 8月14日: インドネシア
鳥類の調査研究のため。

1995年(平成7年)

9月16日 – 9月22日(同妃紀子同行): タイ
カセートサート大学名誉学位授与式、ブーラパー大学名誉学位授与式出席のため。
10月9日 – 10月16日(同妃紀子同行): オーストラリア
秋篠宮および同妃への、オーストラリアからの同国訪問の招待による。

1996年(平成8年)

3月9日 – 3月11日(同妃紀子同行): タイ
前年7月18日に死去したタイ国王ラーマ9世生母シーナカリンの葬儀参列のため。
4月17日 – 4月23日: タイ
魚類の調査研究のため。

1997年(平成9年)

2月26日 – 3月7日(同妃紀子同行): ネパール、 ブータン(シンガポール・タイ立ち寄り)
秋篠宮および同妃への、ネパール・ブータン両国からの訪問招待による。
5月9日 – 5月22日(同妃紀子同行): メキシコ、 ジャマイカ(アメリカ合衆国立ち寄り)
秋篠宮および同妃への、メキシコからの同国で開催される「日本人メキシコ移住100周年記念式典」への招待、並びにジャマイカからの同国訪問の招待による。

1998年(平成10年)

2月16日 – 2月20日(同妃紀子同行): フィリピン
秋篠宮および同妃への、フィリピンからの同国で開催されるフィリピン独立100周年記念行事「日本・フィリピン友好祭」への招待による。
8月3日 – 8月14日(同妃紀子同行): 中国
鳥類の調査研究のため。
9月25日 – 10月8日(同妃紀子同行): アルゼンチン(アメリカ合衆国・ドイツ立ち寄り)
秋篠宮および同妃への、アルゼンチンからの同国で開催される「日本・アルゼンチン修好100周年記念式典」への招待による。

1999年(平成11年)

6月27日 – 7月8日(同妃紀子同行): ベトナム、 ラオス、 タイ
秋篠宮および同妃への、各国からの招待による。
9月26日 – 9月29日(同妃紀子同行): ドイツ
秋篠宮および同妃への、ドイツからの同国で開催される「ドイツにおける日本年」への招待による。開幕式典臨席。

2001年(平成13年)

5月17日 – 5月20日(同妃紀子同行): オランダ
秋篠宮および同妃への、オランダからの同国コンスタンティン王子の結婚式への招待による。
6月21日 – 6月28日(同妃紀子同行): カンボジア
秋篠宮および同妃への、カンボジアからの同国訪問の招待による。
8月2日 – 8月5日(同妃紀子同行): タイ
シーナカリンウイロート大学名誉学位授与式、チュラーロンコーン大学名誉学位授与式出席のため。
8月5日 – 8月16日: ラオス
鳥類の調査研究のため。

2002年(平成14年)

6月19日 – 6月28日(同妃紀子同行): モンゴル
秋篠宮および同妃への、モンゴルからの同国訪問の招待による。
10月14日 – 10月17日(同妃紀子同行): オランダ
同年10月6日に死去した同国王配クラウスの葬儀参列のため。

2003年(平成15年)

8月7日 – 8月21日(同妃紀子同行): タイ
眞子内親王、佳子内親王同行。同国シリキット王妃が71歳を迎えるに際しての祝意表明、並びにウボンラーチャタニー大学名誉学位授与式出席、家禽類に関する共同研究のため。
9月27日 – 10月7日: トンガ、 サモア、 フィジー(ニュージーランド立ち寄り)
同妃紀子同行。秋篠宮および同妃への、各国からの招待による。

2004年(平成16年)

3月29日 – 3月31日: オランダ
同妃紀子同行。同年3月20日死去した同国前女王ユリアナの葬儀参列のため。

2005年(平成17年)

1月14日 – 1月16日: ルクセンブルク
同妃紀子同行。同年1月10日に死去した同国前大公妃ジョゼフィーヌ=シャルロットの葬儀参列のため。
8月17日 – 8月24日: タイ
家禽類に関する日タイ共同調査研究のため。

2006年(平成18年)

10月30日 – 11月7日: パラグアイ(フランス・チリ・ニュージーランド立ち寄り)
文仁親王への、パラグアイ国政府からのパラグアイ国日本人移住70周年を記念しての同国訪問の招待による。

2007年(平成19年)

3月14日 – 3月23日: タイ
私的訪問。タイ同国と共同で進めている鶏の研究に関する会議に出席、野生の鶏について現地調査・並びに同国のスラユット首相が理事長を務めるキングモンクット工科大学名誉学位授与式出席のため
8月13日 – 8月25日: マダガスカル(タイ立ち寄り)
私的訪問。眞子内親王同行。家畜や絶滅鳥の研究のほか、大統領や首相への表敬訪問、宮殿視察。眞子内親王の同行は国際的視野を広めるため。

2008年(平成20年)

1月18日 – 1月25日(同妃紀子同行): インドネシア
秋篠宮および同妃への、インドネシア国政府から日本との外交関係樹立50周年を記念して行われる「日本インドネシア友好年」開会式の開催に際し、同国訪問への招待による。

2009年(平成21年)

5月10日 – 5月23日(同妃紀子同行): オーストリア、 ブルガリア、 ハンガリー、 ルーマニア
公式訪問。日本とオーストリアの外交関係樹立140周年など、各国の交流の節目の年を記念する「日本・ドナウ交流年2009」の名誉総裁として、各国からの招待による。
8月21日 – 8月27日(同妃紀子同行): オランダ
公式訪問。日蘭通商400周年記念行事の開催で、日蘭協会の名誉総裁として、同国訪問への招待による。

2010年(平成22年)

3月23日 – 3月28日: ラオス
眞子内親王同行。鳥類の調査研究のため。

2011年(平成23年)

1月24日 – 2月1日(同妃紀子同行): コスタリカ(アメリカ合衆国立ち寄り)
秋篠宮および同妃への、コスタリカ国政府からのコスタリカと日本との外交関係樹立75周年を記念しての同国訪問の招待による。

2012年(平成24年)

6月11日 – 6月17日(同妃紀子同行): ウガンダ(イギリス・フランス立ち寄り)
秋篠宮および同妃への、ウガンダ国政府からのウガンダと日本との外交関係樹立50周年を記念しての同国訪問の招待による。

2013年(平成25年)

2月3日 – 2月5日: カンボジア
前年10月15日に死去した同国前国王ノロドム・シハヌークの葬儀に参列のため。
6月19日 – 6月30日(同妃紀子同行): クロアチア、 スロバキア、 スロベニア(オーストリア経由)
秋篠宮および同妃への、クロアチア国、スロバキア国、スロベニア国大統領からの各々の国と日本との外交関係樹立20周年を記念しての同国訪問の招待による[47]。

2014年(平成26年)

1月25日 – 2月5日(同妃紀子同行): ペルー、 アルゼンチン(フランス・オーストラリア立ち寄り)
秋篠宮および同妃への、ペルー国政府からのペルーと日本との外交関係樹立140周年、また、アルゼンチン国大統領からのアルゼンチンと日本との移住協定発効50周年を記念しての同国訪問の招待による[48]。
6月27日 – 7月8日(同妃紀子同行): ザンビア、 タンザニア(南アフリカ共和国・イギリス立ち寄り)
秋篠宮および同妃への、ザンビア国政府からのザンビアと日本との外交関係樹立50周年の機会での同国訪問、また、タンザニア国政府からの同国訪問の招待による[49]。
9月30日 – 10月10日(同妃紀子同行): グアテマラ、 メキシコ(アメリカ合衆国立ち寄り)
秋篠宮および同妃への、グアテマラ国政府から、また、メキシコ国政府から「支倉使節団訪墨400周年記念:日墨交流年」の機会での同国訪問の招待による[50]。

2015年(平成27年)

10月27日 – 11月10日(同妃紀子同行): ブラジル(ドイツ立ち寄り)
日本とブラジルの外交関係樹立120周年に伴う国際親善、記念行事参加のため[51]。

2016年(平成28年)

5月10日 – 5月17日(同妃紀子同行): イタリア(バチカン立ち寄り)
秋篠宮および同妃への、イタリア国政府からのイタリアと日本との国交樹立150周年を記念しての同国訪問の招待による[52]。

2019年(令和元年)

6月27日 – 7月6日(同妃紀子同行): ポーランド、 フィンランド
秋篠宮および同妃への、ポーランド及びフィンランド両国政府からの日本と両国との国交・外交関係樹立100周年を記念しての両国訪問の招待による[53]。

2019年(令和元年)

8月16日 – 8月25日(同妃紀子及び悠仁親王同行)[54]: ブータン
旅行、長男の悠仁親王にとっては初の海外訪問[55]。逸話[編集]
誕生・命名に関するもの[編集]
昭和天皇にとって7人目の孫で、2人目の内孫である。また、正田英三郎から見て4人目の孫である(叔母安西恵美子の長女、伯父正田巌の長男に次ぐ)
守り刀は人間国宝・高橋貞次が鍛えた。
独立前には宮号の候補として、常陸宮家と同様に上総宮・上野宮など、かつて親王が国司(守)となっていた関東の令制国(親王任国)にちなんだものも検討されていたとされる。
宮家創設後は宮号の由来である秋篠が脚光を浴び、同地への旅行が流行し「大和路ブーム」が起こった。また、同地にある秋篠寺の伎芸天像が同妃紀子に似ているという人々もいた。人物像・事跡に関するもの[編集]
「宮中祭祀を大切にしていきたいと思っている。拝礼の時も心の持ち方が大事であると考える。私はいつもご先祖様に話し掛けるつもりでお辞儀をしている。」(1998年(平成10年)、江森敬治『秋篠宮さま』、毎日新聞社)
動物と触れ合うことを好み、東宮御所や御用邸の庭で蛇を捕まえて近臣に見せたなどというエピソードが伝わる。
昭和天皇の崩御に際し、武蔵野陵の陵誌(一般の墓誌にあたる)を揮毫した。
高松宮妃より有栖川流書道の伝承を受ける際には、「蜥蜴」などお手本にない文字の書き方を質問したという。
母・皇后美智子の発言
「小さい時からひじょうにものを深く感じる子供で、表面に出てくるのはさりげないけれど、それを自分なりに一生懸命考えているようなところは今も変わらないと思います。」1985年(昭和60年)の誕生日の文書回答にて「礼宮は、繊細に心配りをしてくれる子どもでしたが、同時に私が真実を見誤ることのないよう、心配して見張っていたらしい節(ふし)もあります。」2005年(平成17年)10月20日、皇后の文書回答より)。
宮邸の庭に様々な植物を植えている。同妃紀子がこれらの植物について詠んだ和歌も伝わる。
2006年(平成18年)には伊勢神宮第六十二回式年遷宮を長女眞子内親王とともに視察し、御川曳に参加した[56][57]。なお、2007年の式年遷宮には兄宮である皇太子徳仁親王が参加している。
宮内庁筋によるとパソコンはMacintoshを使っている[58]。外遊に関するもの[編集]
東南アジアを訪れることが多く、現地で泥の川に膝まで浸かりながら歩く姿なども書籍掲載の写真に残されている。
タイ国王室との縁も深く、成婚の折にはシリントーン王女が式に参列した。国内でも、タイ大使館の主催によるシリキット王妃の誕生日を祝うチャリティコンサートにも一家で列席している。
タイのほか、パラグアイなど日系人が多い南米諸国との関係も深い。訪日した日系人の団体が秋篠宮邸を表敬訪問したこともあり、この折には日系人とのかかわりを受け継がせたいとの秋篠宮および同妃の希望により眞子内親王が接見に同席した。
2006年(平成18年)11月1日には日本人移住70周年を祝うため、悠仁親王誕生のため訪問が延期されていたパラグアイを訪問し、ABCなど地元大手紙でも大きく報道された。文仁親王到着の当日には、パラグアイ国中から多数の日系人が首都アスンシオンに集まり、彼を歓迎した。同国最初の日本人移住地であるラ・コルメナ(1936年入植)をはじめ、各地で盛んに歓迎のセレモニーが行われた[59][60]。生物学に関するもの[編集]
鳥類や両生類、ナマズの研究者としても著名で、また、『生き物文化誌学会』の設立に尽力。現在同学会常任理事。同学会誌『生き物文化誌 BIOSTORY』の編集委員でもある。「生物」ではなく「生き物」としたことには、カッパなどの伝説上の生物も含む意味合いを込めている。
生物学への造詣が深く、学習院大学在学中から東京農業大学関連施設の財団法人進化生物学研究所で家禽類研究に従事。大学卒業後はオックスフォード大学大学院動物学科に留学後、五條堀孝教授の指導の下、総合研究大学院大学論文博士(理学)の学位を取得し、前述の『生き物自然誌学会』の常任理事の他に、東京農業大学農学部バイオセラピー学科客員教授、東京大学総合研究博物館特招研究員、総合研究大学院大学学融合推進センター客員研究員、『山階鳥類研究所』の総裁及び『WWFジャパン』の名誉総裁も務めている。東京農業大学大学院農学研究科では遺伝育種学の講義を担当[61]。
一般にはナマズの研究者として知られ、ナマズの殿下とも通称される。幼少時からナマズへの興味関心は深かった。2006年(平成18年)のパラグアイ訪問時には、現地固有種の1.5メートルを超す大型のナマズスルビ(淡白な味で、現地では重要な蛋白源である)を眺める姿が報道された他に魚類については第125代天皇明仁との共同研究も行っている。
それに関連して、成婚の折り、同妃紀子は婚約を記念する指輪(一般の婚約指輪)としてナマズの指輪を贈ったことが有名である[62]。
鶏の起源について8000年前のタイが起源であるという学説を唱えている。また2000年代にはタイ・中国・香港の鳥インフルエンザウイルスの遺伝子を調査し、関連性がないことを証明した。この論文は米国科学アカデミー紀要(PNAS: The Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America)に発表され、同機関のウェブサイトにても閲覧することができる。テニスに関するもの[編集]
両親と同じくテニスを趣味の一つとしており、その腕前は学生時代に関東でダブルストップ10に入る程であった[63]。1992年から2015年まで日本テニス協会の名誉総裁を務めており[64][65]、全日本テニス選手権において表彰式や試合観戦、テニス国別対抗戦のデビスカップ・フェドカップの組み合わせ抽選会において名誉総裁として参加する他[66][67]、ジャパン・オープン・テニス選手権、東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント等の日本で開かれる国際テニス大会へはほぼ毎年観戦に訪れている事で知られている[68][69][70][71][72]。なお、日本テニス協会名誉総裁は2015年10月に長女の眞子内親王に譲られた[73]。

川嶋紀子との婚約に至る経緯[編集]
学習院大学在学時、一年下級の川嶋紀子(当時)と知り合い、サークル活動等を通じて交際を深めていた。
皇太子・明仁親王(当時)と同妃美智子(当時)は、既に紀子のことは知っていたが、礼宮は同年の12月に葉山で静養中の両親に紀子を会わせた。皇太子および同妃は、学習院大学馬術部の親睦会で紀子の父・川嶋辰彦と何度も顔を合わせていることもあり、紀子と皇太子および同妃の出会いは、とてもスムーズなものであったという[74]。
それから間もなく明仁親王は「2人のことを前向きに検討してほしい」と当時の東宮職に指示をし[75]、職員たちも2人の交際を承知した[76]。一方でゴシップ記事として報道されるのを防ぐため、サークルにおいても離れて写真に写ったり、記者が近くにいる時は友人が割って入ったりしていたという。
1989年(平成元年)8月26日、川嶋紀子との婚約内定が報道される。昭和天皇の喪中(大喪)であること、兄・徳仁親王がまだ独身であること、文仁親王自身が留学中の身であることから時期尚早との批判もあったが、両親や兄からの反対はなく、宮内庁は、挙式や結納に当たる「納采の儀」など晴れの儀式は、喪中はふさわしくないものの、皇室会議の開催は喪中でも差し支えないと判断している。
そもそも、皇室の服喪は三期に分けられ、第一期・第二期各50日の合計100日間を過ぎれば、その後の第三期は「心喪」という服喪形式がとられる[77]。心喪とは、この期間中、天皇はじめ各皇族は公の行事には出席するが、神事のみ遠慮するという形式の服喪である[78]。また、原則として結婚等の祝賀行事も行われないが、特別な理由があれば認められる[77]。
また、1947年(昭和22年)に廃止された皇室服喪令をその後も踏襲していると考えれば、皇族の服喪期間は続柄によって期間が異なり、祖父である昭和天皇に対する礼宮の服喪期間は150日であることから、きちんと喪が明けた後に婚約発表が行われていることになる。ちなみに、過去において1例だけ服喪期間中の婚約発表があり、祖母である貞明皇后に対して同じ150日の服喪期間があった順宮厚子内親王と池田隆政の婚約が内定した旨を、1951年(昭和26年)5月17日の貞明皇后崩御からわずか2か月足らずの同年7月11日に、昭和天皇が自らの裁可で田島宮内庁長官に命じて公式に発表させている。昭和天皇崩御から8か月後に皇室会議の決定として発表された礼宮の場合など、この事例に比べれば何の問題もないといった見解を宮内庁関係者は示している[79]。
兄弟の結婚の順番が逆になることについても、天皇・皇后が子の意思を尊重する考えのため、宮内庁幹部も「一般家庭でもあることで、大きな問題ではない」と述べ[80]、元東宮侍従の浜尾実も「高円宮は兄の桂宮よりも先に結婚しています。これも前例があり、全く問題外です」とインタビューで語っている。また、徳仁親王も1989年(平成元年)9月21日の会見で、「2人の間が不安定になっているのはよくないので、2人の結婚は私も強く勧めたところです」と述べた。
皇室会議では、海部首相が開会を宣言。藤森宮内庁長官が「大学のサークル、自然文化研究会や礼宮主宰のテニスクラブでの活動を通じて親交を深め、1985年(昭和60年)暮れには当時皇太子の天皇から『2人の交際を前向きに検討してほしい』とのご指示もあった」と交際の経緯や川嶋紀子の経歴、家族の略歴などを説明した。
1年間と服喪期間が最長である第125代天皇明仁(当時)などの喪が明け、皇族全員が服喪期間を終えた1990年(平成2年)1月12日に納采の儀が執り行われ、正式に婚約した。皇室会議での可決を指して「婚約成立」であるとしている媒体も多く、「秋篠宮は昭和天皇の喪中に婚約会見を開いた」と言う者も存在するが誤りであり、納采の儀が正式な婚約成立である[81]。宮内庁は公式HPにおいて、納采の儀=ご婚約と記載している(例:文仁親王同妃両殿下のご略歴)。また、皇位継承順位の変更や皇族の婚姻等を合議するための皇室会議を開催する権限は内閣総理大臣にあり、2人の婚姻は、田村元衆議院議長、小野明参議院副議長、矢口洪一最高裁判所長官、伊藤正己最高裁判所判事、藤森昭一宮内庁長官、福田一衆議院議員、三笠宮、常陸宮の全員が満場一致で可決している。皇室会議での可決を受けた後の会見を誤って「婚約会見」だとしている媒体もあるが、宮内庁は納采の儀が行われて初めて整う事としており[82]、皇室会議での承認のみでは正式な婚約であるとは認めていない。また、この皇室会議と婚約の違いについて天皇は、「礼宮の納采の儀は喪明けでなくてはならないが、皇室会議は喪中でもいいのではないでしょうか」という話を側近に語ったといわれる[83]。

発言[編集]
「記者会見という場所において発言する前に、せめて陛下とその内容について話をして、その上での話であるべきではなかったかと思っております。そこのところは私としては残念に思います。」- 皇太子徳仁親王の人格否定発言に対して
「あくまでも私個人としては、自分のための公務は作らない。(中略)私は公務というものはかなり受け身的なものではないかなと。こういう行事があるから出席してほしいという依頼を受けて、それでこちらもそれが非常に意義のあることであればそれを受けてその務めをする。私自身はそういうふうに考えて今までずっと来ています。」 – 公務の在り方について
以上、2004年(平成16年)11月25日、誕生日会見にて
「皇族の公的な活動というのは社会からの要請にこたえて行われるべきものであると思います。」
「皇族の役割の大事な一つは、天皇をサポートすることではないかと思っております。」
「私にとって非常に大切な友人で、信頼できる人物ですし、人柄も良い。」- 妹婿で友人の黒田慶樹について
以上、2005年(平成17年)11月22日、誕生日会見にて
「自然界に帰すということは自然の中で危険を乗り越えながら自ら生きること、今回のことは残念ですが自然に帰すということはこのようなこともあるということです。」
2006年(平成18年)春の園遊会にて、秋篠宮の放鳥したコウノトリが事故死し、井戸敏三兵庫県知事が謝罪した際[2]
「難しい判断だったと推察するが、今回の意思決定は協会全体として将来的にプラスに働くと思う。」
追い込み漁によるイルカの入手を加盟施設に禁じた日本動物園水族館協会の決定について、総裁としての発言
「国民と苦楽を共にし、国民の幸せを願いつつ、務めを果たしていくということがその最も基本的なところにあると考える」 – 今後の皇室の在り方について。2017年11月30日の誕生日に先立つ記者会見[84]。長女眞子内親王の婚約・結婚に関する発言[編集]
「眞子内親王#婚約内定と延期」も参照
長女の眞子内親王と国際基督教大学の同級生だった小室圭が2012年8月に交際を開始し[85]、2017年9月3日、両者の婚約内定が発表された。秋篠宮夫妻は「小室圭さんと娘は、約5年の歳月をかけて、双方の気持ちを確認しながら結婚に向けての話を進めてきた。内定までの5年は私たちの時よりも長い期間になり、二人の意思を確認するのには十分な時間であったことと思う。私たちはその二人の意思を喜んで尊重した。」という感想を公表した[86]。
2017年11月30日、52歳の誕生日を迎えた際の記者会見で小室圭について「非常に真面目な人だというのが第一印象」「娘のことや娘の立場もよく理解してくれていると思う」などと述べた[84]。
しかし、婚約内定後、『週刊女性』などで「小室圭の母親と元婚約者との間に金銭問題が生じている」などのトラブルが発覚した[85]。2018年2月、納采の儀を始めとする結婚関係儀式等の延期が宮内庁から発表された[87]。小室母子は釈明の為に秋篠宮邸を訪れ、金銭トラブルについて圭の母は「借金ではなく贈与」と説明した[85]。その後も協議が重ねられたが、圭の母や圭の主張は変わらず、方策が見えてこなかった[88]。
小室圭とその母に対し、秋篠宮夫妻は、正式な婚約となる「納采の儀」を行うことが現状では困難であるとの考えを伝えている[89]。小室家側にあるとされる金銭トラブルを解決することが必要と判断したとみられる[89]。
2018年11月30日、53歳の誕生日を迎えた際の記者会見で記者たちからの質問に答え、眞子内親王の結婚問題について、今でも結婚したいのであれば「問題をクリア」にし「多くの人が納得し喜んでくれる状況」にするため、(小室家側は)「それ相応の対応をするべきだ」「そういう状況にならなければ、私たちは婚約に当たる納采の儀というのを行うことはできません」と話した[90][91][92][93]。また、古くからの友人に発言の真意を問われ「結婚に反対と受け取ってもらってかまわない」と断言したという[94]。
2020年11月30日、55歳の誕生日を迎えた際の記者会見で眞子内親王と小室圭との結婚について「多くの人が納得し喜んでくれている状況ではないと思っている」が、「婚姻は両性の合意のみに基づく」という日本国憲法第24条に触れ「結婚することを認める」と明言した[95][96]。また会見の最後には「結婚と婚約は違いますから」と述べた[95](ただし、そもそも皇族に憲法24条は適用されないという説から、この発言の根拠は誤りであるとする考えもある[97])。
2021年10月26日、本来であれば女性皇族が結婚する際に行う儀式などが行われない形となった眞子内親王の結婚を受けて秋篠宮夫妻は「皇室としては類例を見ない結婚となった。ご迷惑をおかけした方々に誠に申し訳ない気持ちでいます。二人には幸せな家庭を築いていってくれることを願います」と文書でコメントを公表した[96]。
小室圭について、ジャーナリストの江森敬治が「相手の男性の家庭状況など事前に調べたりされましたか?」と質問すると秋篠宮は「個人情報がいろいろとうるさい時代なので、家庭状況などを調査すること自体に問題があります」と述べ、職業は当初より「パラリーガルのままでよい」との考えをもち、結婚の暁には夫婦がつつましくも自立した生活をすることだけを望んでいたとされる[98]。

その他[編集]
成婚を祝う記念番組の一部としてアニメ作品「平成のシンデレラ紀子様物語」も製作・放送(フジテレビ、秋篠宮および同妃の声は同局アナウンサーの笠井信輔と、石川秀美が担当した)されている。
政府による正式表記(内閣告示や宮内庁告示など)では皇族に宮号が冠されることはない(皇太子を除く)ため、それらの告示が掲載される官報での表記は「文仁親王」、「皇嗣文仁親王」[99]とされ、「秋篠宮」が冠されることはない。ただし、同じ政府による表記であってもウェブサイトなど「国民一般へのわかりやすさ」が重視される場面では「秋篠宮」の表記も用いられる。
『週刊ポスト』1989年4月7日号で「礼宮が兄・浩宮との待遇の差にショックを受け、皇籍離脱したいと発言した」、との記事が掲載されたが憶測記事であったことが判明した[100]。1989年(平成元年)9月21日に行われた公式会見で、徳仁親王は、「弟が皇籍を離脱すると言ったということが一部の雑誌などで取り上げられました。私たち家族としてはそういうことは一度も聞いたことがありませんで、非常にびっくりしたというのが事実ですが、その根拠は何だったのでしょうか。一つの雑誌が取りあげて、それを別の雑誌が引用して独り歩きをするということはやはり困ることだと思いますけれども」と発言した。
2006年9月6日8時27分に東京都港区の愛育病院で文仁親王妃紀子が悠仁親王を出産した際、同病院の待合室に置かれたテレビでNHK連続テレビ小説『純情きらり』(NHK総合テレビ)を視聴していたとされる[101]。
2021年10月1日、宮内庁は眞子内親王とkとの結婚に際して儀式・結婚式が行われない理由について、秋篠宮がこの結婚を多くの人々が喜んでくれる状況にないと判断したためであることを公表した[102]。同年4月にkが発表した28頁にも渡る文書の裁判書面のような書きぶりにひどく落胆したが、内親王の体調不調があり苦渋の決断をしたと伝えられている[103]。
1997年(平成9年)3月からは、旧秩父宮邸を改築して使用していたが、立皇嗣にあたり再び宮邸を改修するため、住居は東京都港区元赤坂の赤坂御用地内にある秋篠宮邸で、改修工事に伴い2022年(令和4年)3月まで「御仮寓所(ごかぐうしょ)」に仮住まいしている[104]。著作[編集]
※鳥類・家禽関係の著書。

『欧州家禽図鑑』(共著。写真と解説を執筆)平凡社、平成6年(1994年)、.mw-parser-output cite.citationfont-style:inherit.mw-parser-output .citation qquotes:”””””””‘””‘”.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free abackground:linear-gradient(transparent,transparent),url(“//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg”)right 0.1em center/9px no-repeat.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration abackground:linear-gradient(transparent,transparent),url(“//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg”)right 0.1em center/9px no-repeat.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription abackground:linear-gradient(transparent,transparent),url(“//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg”)right 0.1em center/9px no-repeat.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registrationcolor:#555.mw-parser-output .cs1-subscription span,.mw-parser-output .cs1-registration spanborder-bottom:1px dotted;cursor:help.mw-parser-output .cs1-ws-icon abackground:linear-gradient(transparent,transparent),url(“//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg”)right 0.1em center/12px no-repeat.mw-parser-output code.cs1-codecolor:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit.mw-parser-output .cs1-hidden-errordisplay:none;font-size:100%.mw-parser-output .cs1-visible-errorfont-size:100%.mw-parser-output .cs1-maintdisplay:none;color:#33aa33;margin-left:0.3em.mw-parser-output .cs1-formatfont-size:95%.mw-parser-output .cs1-kern-left,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-leftpadding-left:0.2em.mw-parser-output .cs1-kern-right,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-rightpadding-right:0.2em.mw-parser-output .citation .mw-selflinkfont-weight:inheritISBN 4582518133
『鶏と人-民族生物学の視点から』(編著)小学館 平成12年(2000年)、ISBN 4096260622
『鳥学大全-「鳥のビオソフィア-山階コレクションへの誘い」』(編纂)東京大学総合研究博物館、平成20年(2008年)、ISBN 4130603507 大著
『BIOSOPHIA of BIRDS(鳥のビオソフィア)』(編集)東京大学出版会、2008年、ISBN 4130831526 大著
『日本の家畜・家禽 フィールドベスト図鑑』(監修・文)学研 平成21年(2009年)、ISBN 405403506X
『ヒトと動物の関係学2 家畜の文化』(共編・文) 岩波書店、平成21年(2009年)、ISBN 4000271083※魚類

『ナマズの博覧誌』(共著・編集)誠文堂新光社(2016年)、ISBN 4416114540※このほか雑誌ANIMALにも推薦文を寄せている。

関連書[編集]
『秋篠宮さま』(江森敬治、毎日新聞社)平成10年(1998年)、ISBN 978-4620312033脚注[編集]
[脚注の使い方]注釈[編集]

^ 皇室典範において皇位継承順位1位の皇族を指す。「皇太子」や「皇太孫」は皇位継承順位1位の皇族が在位中の天皇の子もしくは孫である場合に特に使用される呼称であり、地位であるが、「皇嗣」はそれ以外の皇族が1位の場合にも(更に先順位の皇族が後に生まれる可能性がある場合を含め)使用される皇位継承順位1位の皇族全般を指す呼称にすぎない。

^ 皇嗣である文仁親王は、 皇室典範特例法第5条の規定により皇太子と同等の地位として扱われるため、皇室典範第11条第2項の規定により皇族の身分を離れることができない。

^ ただし湯浅長官は半年前の6月の記者会見で、皇太子および同妃に対しても第二子を願う発言をしている[9]。

^ 「日本オーストリア交流年2009」・「日本・ハンガリー交流年」・「日本・ルーマニア交流年2009」・「日本・ブルガリア交流年2009」の各日本側名誉総裁も含む

出典[編集]

^ 宮内庁 秋篠宮家

^ 宮内庁公式サイト 英語版

^ 皇室典範第二十三条第二項「前項の皇族以外の皇族の敬称は、殿下とする。」

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^ 毎日新聞 1990年1月13日夕刊

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^ [1] 勲章を佩用していることがわかる。

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^ 宮内庁への情報開示請求で、旅行費は約560万円ほどであること明らかになっている。これは2006年8月の皇太子ご一家のオランダ静養の費用1800万円よりはるかに安い。「秋篠宮家「ブータン旅行」と東宮家「オランダ静養」は、どちらが無駄遣いだったのか? 情報開示からわかる皇室の事実」https://imperialism.site/archives/982

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関連項目[編集]

ウィキメディア・コモンズには、秋篠宮文仁親王に関連するメディアおよびカテゴリがあります。宮中某重大事件 – 皇族の婚約をめぐる騒動。
久邇宮朝融王 – 上記事件とは別の婚約騒動を起こした皇族。外部リンク[編集]
秋篠宮家 – 宮内庁(公式サイト)
美智子さまが礼宮文仁親王をご出産 – NHK放送史
1965年 礼宮文仁さま誕生 皇位継承権第3位(1965年11月)【映像記録 news archive】 – YouTube(TBS NEWS)
【全編】秋篠宮ご夫妻 婚約会見 – YouTube(TBS NEWS)
秋篠宮さまと紀子さま ご結婚 – NHK放送史表話編歴 秋篠宮家 当主
秋篠宮文仁親王


川嶋紀子

子女
佳子内親王 – 悠仁親王

役職・財団
山階鳥類研究所 – 日本動物園水族館協会 – 世界自然保護基金 – 結核予防会 – 恩賜財団母子愛育会 – 日本テニス協会 – 日本工芸会

Category:日本の皇族 – Category:宮家
表話編歴 日本の皇位継承権者・皇位継承順位

第1位 皇嗣秋篠宮文仁親王(推定相続人) – 第2位 悠仁親王 – 第3位 常陸宮正仁親王

表話編歴 近現代日本の親王
明治天皇(祐宮睦仁親王)より下の世代で、親王と公称した人物。第1世代は明治天皇の子の世代。太字は皇位を継承した(天皇に在位した)親王。第1世代
建宮敬仁親王
明宮嘉仁親王(大正天皇)
昭宮猷仁親王
満宮輝仁親王(猶子)
有栖川宮威仁親王
閑院宮載仁親王
華頂宮博厚親王
東伏見宮依仁親王第2世代
迪宮裕仁親王(昭和天皇)
淳宮雍仁親王(秩父宮)
光宮宣仁親王(高松宮)
澄宮崇仁親王(三笠宮)第3世代
継宮明仁親王(上皇)
義宮正仁親王(常陸宮)
寬仁親王(三笠宮家)
宜仁親王(桂宮)
憲仁親王(高円宮)第4世代
浩宮徳仁親王(今上天皇)
礼宮文仁親王(秋篠宮)第5世代
悠仁親王(秋篠宮家)
表話編歴 皇室 一覧
天皇の一覧
皇后の一覧
皇室系図の一覧
元号の一覧
宮家一覧
男性皇族一覧身位
天皇
今上天皇
后位
皇后
皇太后
太皇太后
上皇后
皇太子
皇太子妃
親王
親王妃
内親王

王妃
女王
大妃
摂政
摂政宮
入道親王
法親王
太上天皇
上皇
太上法皇
准太上天皇
大行天皇
後宮
妃位

皇太妃
太皇太妃
夫人位
夫人
皇太夫人
太皇太夫人
准三宮
中宮
女御
更衣
御息所
御匣殿別当
大兄
国母
皇族
旧皇族
内廷皇族
内廷外皇族
宮家
直宮家
女性天皇
女系天皇
女性宮家
院宮王臣家
伯家
華族
王公族
朝鮮貴族
即位
践祚
譲位
崩御
薨去
臣籍降下(皇籍離脱)
降嫁
親王宣下
皇別
皇位
皇嗣
皇別摂家
皇位継承
皇位継承順位敬称
陛下
殿下
御称号
宮号
尊号
全名


お印宮中祭祀
宮中三殿
賢所
皇霊殿
神殿
天照大神
皇祖神
伊勢神宮

日本神話
神道
神社本庁公務・制度
日本の元首
日本国憲法第1章
国事行為
国事行為臨時代行
国事行為の臨時代行に関する法律
天皇の退位等に関する皇室典範特例法
行幸・行啓
園遊会
皇室典範(旧皇室典範)
皇室経済法
皇室経済会議
皇室経済法施行法
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該当なし(選挙制) オセアニア
ウェールズ公ウィリアム
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ウェールズ公ウィリアム
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LCCN: no00102542
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カテゴリ: 秋篠宮文仁親王秋篠宮日本の親王戦後日本の男性皇族明仁天皇の子女大勲位菊花大綬章受章者イタリア共和国功労勲章受章者博士(理学)取得者政治学士取得者日本の魚類学者日本の鳥類学者日本のテニスに関する人物日本の自然保護活動家東京農業大学の教員山階鳥類研究所の人物学習院中・高等科出身の人物学習院大学出身の人物オックスフォード大学セント・ジョンズ・カレッジ出身の人物東京都区部出身の人物1965年生存命人物隠しカテゴリ: 外部リンクがリンク切れになっている記事/2021年12月CINII識別子が指定されている記事FAST識別子が指定されている記事ICCU識別子が指定されている記事ISNI識別子が指定されている記事LCCN識別子が指定されている記事NDL識別子が指定されている記事SUDOC識別子が指定されている記事VIAF識別子が指定されている記事WORLDCATID識別子が指定されている記事

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天皇陛下 女王「国葬」参列へ イギリス留学時 女王とお茶も(2022年9月14日) Youtube

 日本政府は14日、イギリス政府から国葬の招待状が届いたことを明らかにしました。

 松野官房長官:「来る9月19日に執り行われる、英国エリザベス女王の国葬に、英国王室の招待を踏まえ、天皇皇后両陛下にご参列を願うことと致しました。日程は9月17日にご出発。20日にご帰国を予定しています」

 両陛下の参列が発表され、機内泊を含め4泊の日程になる見込みです。

 宮内庁によりますと、エリザベス女王が亡くなった直後の今月9日から3日間、両陛下と上皇后ご夫妻がそれぞれ喪に服されていました。

 天皇陛下にとって即位後、初めてとなる海外訪問です。

 1983年から、イギリス・オックスフォード大学で2年間学ばれた陛下。

 自身の著書「テムズとともに」のなかで、ロンドンのバッキンガム宮殿に招かれた際、エリザベス女王とお茶をともにしたと記されています。

 「テムズとともに」から:「アンドルー王子、エドワード王子も同席され、しばらくくつろいだ雰囲気のもと、楽しいひと時を過ごさせて頂いた。女王陛下自らがなさって下さる、紅茶の淹れ方と、紅茶とともに並ぶサンドイッチやケーキの組み合わせに興味をひかれた」

 イギリス留学は学業だけでなく様々な交流を深め、等身大の学生として、自由な青春時代を過ごされた思い出の場所。

 浩宮さま(当時):「オックスフォードの学生として大いに人生を楽しみました。最後に再び感謝の気持ちを伝えるとともに、イギリスの人々、特に滞在中にできた多くの友人の幸せを祈ります」

 充実したイギリスでの留学中、特に女王とは、バルモラル城に招かれ、数日間、家族のように一緒に過ごされたとも回顧されています。

 浩宮さま(当時):「オックスフォードの2年間のカレッジでの生活の結果だと思いますけれども、自分でものを考え自分で決定し、自分で行動に移す。そういった事はできるようになったのではないかなと思います」「(Q.“この人なら”という女性に巡り合えた?)まだないです」

 また、皇太子時代にもイギリスを訪問し、女王が週末等を過ごすウィンザー城を見学されました。

 図書室では、過去に日本の皇室から贈られた象牙の扇子や刀など、所蔵品をご覧になりました。

 この時、エリザベス女王やチャールズ皇太子などから雅子さまのご懐妊について、お祝いの言葉を受けたことも述べられました。

 皇太子殿下(当時):「王族の方々、今回訪れました様々な場所で本当に色々な方々から心温まる祝意を頂いたことを大変うれしく思います。今回は単身で来ることになりましたけれども、次回はぜひ、2人で一緒に来ることができたらと思っています」

 そして陛下とともに今回、国葬に参列する見通しの皇后さまも外務省に勤めていた際、オックスフォード大学に留学されています。

 時は違えど、イギリスは天皇皇后両陛下にとって、ゆかりの地。

 両陛下揃っての外国訪問はトンガ国王戴冠(たいかん)式以来となります。

 また、長女の愛子さまも2018年、イギリス・イートン校のサマースクールに参加。

 イギリス留学で一回り大きく成長されたようです。

 陛下は今月9日、エリザベス女王の死去を受け、お気持ちを発表されました。

 天皇陛下のお気持ち(9日):「我が国との関係においても、女王陛下は両国の関係を常に温かく見守って下さり、英王室と皇室の関係にも御心を寄せて下さいました。私の英国留学や英国訪問に際しても、様々な機会に温かく接して頂き、幾多の御配慮を頂いた事に重ねて深く感謝したいと思います」

 国葬の参列を巡っては、日本政府は当初、岸田総理の参列を検討し、トラス新首相との会談も模索していました。しかし、招待状が届いたことを踏まえ、調整した結果、両陛下の出席が決まり、総理の参列は見送られることになりました。
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp

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